1.意識の底

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だから、意識が戻ってからしばらくは、自分は意識だけの存在だと思っていたし、自分以外の存在に囲まれているなんて、思ってもみなかった。  でも、ある時気がついた。 うすーくぼんやりとした光を感じる。 だけど、自分が居る場所から光源までは、遮るものが幾重にもある。  音も同じだ。 飛行機の気圧で耳が遠くなったような、音の輪郭がぼやけて近くの音が遠くに聴こえる違和感。  歩の身体はおよそ一年の間、脳と五感や手足の間で活発な情報伝達が行われていなかった。そのため、身体のあらゆる器官と脳のつながりが寸断され、錆び付いていた。 それがある日、意識のスイッチが再びONになり、脳と身体をつなぐ回路が懸命に復旧を試みていた。歩は意識だけが戻ったまま、身体が全く動かない状態にあった。  そしてある時、母が自分の名前を呼んだ気がした。 「あ……ゆ……む……」 はじめは母の声だと気づかなかった。 単語ではなく、途切れ途切れの微かな音。 しかし、聴覚よりも心が先に、母の声に反応した。 温かく懐かしい存在が僕を探してる。 心がそう感じた。  母の懐かしい声は、最初はとても遠くから微かに聞こえた。 歩は母の声に意識を集中した。 声は、すごく遠くからほんの微かに聴こえる。 だから意識が散漫になると、すぐに見失ってしまう。 聴こえた瞬間に全力で集中しないと、捉えることはできない。     
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