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※ ※ ※
スタジオゾラは若い観客で埋め尽くされていた。
新大久保の雑然とした街の中にポツンと佇む灰色のビル。
その地下にあるのがスタジオゾラだ。
音響が良いわけでもないが、ただ思いっきり音を出して良い場所。
それがスタジオゾラだ。
受付でドリンクチケットを受け取ると、私は迷わずステージの前方に向かった。
音楽を感じるならば、演奏者のより近くにいることに越したことはない。
ギターの音が肌を切り裂き、ドラムの振動が腹を殴る。
ロックは私にとって極めて身体的や体験であった。
19:00P.M.
私がスタジオに入る前に演奏を始めていたバンドが終わり、次のバンドに代わる。
その瞬間、私は若いギタリストに目を釘付けにされた。
それは紛れもなく、榎本和宏だったからだ。
4人組みのバンドの中で、若き日の榎本が一心不乱に弦を掻き鳴らす。
まるで不自由はから足掻き逃れるようにして、彼は演奏を続ける。
その一音一音が私をズタズタに切り裂いた。
そうだ。私は逃れたかったのだ。
世の中の規律や不条理から。
あの頃の榎本からすれば、今の私は規律に縛られ、不条理に押し込められている哀れな大人の1人に見えるに違いない。
それどころか、私は今や世の中を雁字搦めにする立場にあると言っても良い。
私は榎本和宏でありながら、しかし全く異なる人物になってしまったのだ。
私は彼らの演奏を聴きながら記憶が呼び起こされていくのを感じる。
麻衣と再会したのはまさにこのライブハウスだった。
その頃には榎本は恋とは何なのかを知っていた。
麻衣との恋愛は、榎本にとってある種の反抗と自己表現だったのだと私は想像する。
私は彼のバンドの奏でるロックに傷つけられ、衰弱していくのを感じた。
若き日の榎本が今の私を殺そうとしているかのようだ。
それは誘拐などという生優しいものではない。
私は胃から込み上げてくるものを何とか押し留めて、ライブハウスを後にした。
規律のある不自由な世界に一刻も早く帰りたかった。
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