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私は1人、暗いオフィスにポツンと残る。
21:00。
気づくとそこには榎本和宏がいた。
私は彼と向き合う。
私の手にはエレキギターが握られていた。
ネックの部分を鷲掴みにして、ボディを斧の先端のようにして振り上げる。
余りに強く握るので弦が手のひらに食い込んで血を流す。
榎本和宏は寂しげな、しかし何処か清々しさを感じる表情をしていた。
これから何が起こるか、彼には全て分かっているようだった。
次の瞬間、私はひと思いに榎本和宏の頭部に向けてギターを振り下ろした。
今の私にはギターの使い方はこれしかないように思えた。
彼はピクリとも動かず、斧の先端が迫るのを眺めている。
ギターは音を立てずにストンと落ちた。
しかし、私の手には鈍い感触が残る。
だらんと伸びた私の腕の先に、榎本の姿はもうなかった。
たぶん私が彼を消し去ったのだ。
私はただ茫然として、握ったギターを床に落とす。
弦が苦々しい不協和音を立てて転がった。
それはあらゆる規律と秩序を発散させる。
事務所の明かりが灯った。
入ってきたのは妻の麻衣だった。
「カズくん。大丈夫?」
「ねえマイ、私は変わってしまっただろうか。」
「あなたは、あなたよ。小学生のころから変わらない。」
私は麻衣の言葉で少し心が落ち着くのを感じる。
彼女はやはり私の妻だ。
そうだ。明日の私は、いつもの私でなくてはならない。
朝起きたら、シャワーを浴びて、トーストを食べよう。
私はまた榎本和弘を取り戻したような気がした。
了
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