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私は輪郭を得て、少しづつ気分が落ち着いてきたようだ。タオルで濡れた身体を拭くと、甘い柔軟剤の匂いに包まれた。これは妻の趣味に違いない。 私はそのままスーツ姿に着替える。スーツは私を一層私らしく保ってくれる。まるで、私の方がスーツに合わせて身体のサイズを変えているかのように、ぴったりと馴染んだ。 朝食にはトーストを焼いた。焼きたてはサクサクと崩れやすく、スーツにパン屑が付くのを払う。どうしてスーツに着替える前に食事を済ましてしまわないのだろうか。しかしどうやらそれは、私のお決まりのルーティンであるらしい。 私はバターを載せたトーストをベッドまで運ぶ。 そろそろ妻も起きる時間だ。 「ん、ん、良い匂い。」 彼女はまた目を瞑ったまま首を伸ばす。 そして上を向いたまま目を開いたり閉じたりしている。 「食べるだろ?」 私は白い陶器の皿に乗ったトーストを彼女に渡す。 彼女は肺一杯にバターの濃い匂いを吸い込む。 「うん。ありがとう、カズ。」 彼女は私の名を呼んだ。 そうか私はカズか。その瞬間初めて、私は単なる私という存在から、榎本(えのもと)和宏(かずひろ)という人間になった気がした。大皿に乗ったスパゲッティ取り分けて、”はい、これがあなたの分ですよ”と言われたような、そんな気分だ。私は私の分のスパゲッティを食べることに集中出来る。 「マイ、まだ残ってたっけ?ミートソース。」 パン屑をシーツに散らかさないように、お皿を顎の下にしてトーストを食べる妻に私は聞いた。 やっぱり首筋が綺麗だ。 「何?急に。語順もなんか変。ミートソースならまだあったと思うけど。」 妻はトーストを両手で持ったまま、不思議そうに聞く。私は自分でも変なことを言ってしまったと反省する。 「いや、何か急に食べたくなっちゃって。」 そしてできることなら、大皿に一度盛ってから取り分けて欲しい。 いい年齢の大人がスパゲッティをねだるだなんて。私はネクタイを締めながら、気恥ずかしさを誤魔化して言う。 「そう、じゃあ今日はそれにする?スパゲッティ。」 妻は巫山戯て私の言葉を真似て言った。 私も苦笑いをして、そうしてくれと妻に言う。何だか本当にスパゲッティが食べたくなってきた。 「じゃあ、行ってくる。」 私は鞄を持ってベッドルームを出る。 「行ってらっしゃい、じゃあ。」 私は壁越しに妻の声を聞きながら、家を後にした。
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