第1章

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 俺はかつて神であった。今はそうではない。神とは名に依って成り立つものではなく、信仰に依って成り立つものである。今の俺は利益の装置としての機能しか持ち得ない。  しかし人の形をしていることもあってか、それとも上辺だけは丁重に扱おうと思ったのか、容れ物だけは立派である。大きな社に、一しきりの家具。住まいのつもりなのだろう、呆れて物も言えない。着替えも食事も、遊戯などもってのほかだ。  広いところだけは評価していた。これで窮屈だったならば、全存在を賭して奴等を呪っていたことは間違いない。  封じられてどれだけの月日が経ったのか、俺は元より時間を気にしたことがない故、分からなかったが、とにかく永い時間の中、ある一人の乙女がこの社へと現れた。黒く染め上げた絹糸のような髪、白花の如き肌。動き易いゆったりとした着物を身に纏っている。小柄でまだ幼く見えるが、しっかりとした芯のある佇まい。  「何だ、お前は」  「私、空木(うつぎ)と申します。逆矢(さかや)様の身の回りのお世話をさせて頂きたく参りました」  「空木?」  しげしげと彼女を眺めた。確かに的を射ている気はした。あれは美しい花だ。同時に悪趣味だとも思った。“うろ”を意味する言葉でもあったからだ。  「お嫌いですか」  「いいや」  「良かった」  彼女は手を打ち、晴れやかに笑った。それから、今度は俺を眺めすがめた。  「何だ」  「いえ、てっきりお爺――ええと、お歳を召した出で立ちでいらっしゃるのかと。髪や眼は白く、厭世的な雰囲気の方だとお聞きしていたので」  「死にかけの老人でなくて悪かったな」  彼女はぱたぱたと手を振った。  「とんでもないです。親しみやすくて宜しいかと」  それを諾としたのか、彼女は毎日のように現れた。雨の日も晴れの日も、決まって新たな着物と、手拭いと、籠と、それから幾ばくかの食事を持って。  俺の身体が汚れることはないし、従って着物も同様である。それを告げない程俺は邪悪でなく、それを知らない程彼女は愚昧ではなかった。  「それはそれ、これはこれです、逆矢様。神たる者、お召し物はきちんとされるべきですし、お住まいも然り、です」  「空木よ」  「はい?」  「俺は最早神ではない。斯様な場所に縛られるものの、何処が神と言うのだ」
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