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「明日の朝、家を出ます」
ごく軽い調子で修二郎は言った。
常の如く庭の塀越しで顔は見えず、表情をうかがうことは出来ない。
それは、和恵にとっても幸いだった。
「伺っております。このたびは大変おめでとうございました」
和恵は、努めて平静を保ちながら言った。
「果たしてめでたいものかどうか。養父となる人は江戸詰で、江戸と国元とを行ったり来たりだが、どうやらわたしは行ったきりになるらしい。なんでもえらく辺鄙な所らしくて、島流しにでもされる気分ですよ」
「それは……お母上様も、お寂しいことでございましょう」
隣家の妻女が、顎でこき使うようにしながらも何かと言えば修二郎を頼りにしていた様子を思い出しながら、和恵は言った。
「はは、どうだか」
修二郎は乾いた笑い声を立て、それからやや暫くあって、
「今生の別れ、ということになるやも知れません」
そう言った声は、湿っていた。
※江戸詰……藩主の参勤に付いて江戸へ上り、そのまま江戸に留まって一年を過ごし、また藩主と共に国元へ戻るという勤務形態。一年置きに単身赴任です。浅葱裏と馬鹿にされるのは主にこういう人達。
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