不透明な、空虚

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 全てに、神経を注がなくてはいけないような緊張感の中で、瞼を閉じた。仕事などできるはずがなかった。何をかけばいいのかすら判らなかった。ただ、晴人に逢いたかった。そう願う反面で、会って何を話せばいいのか判らなかった。  晴人は、あの記事を見たのだろうか。見て、何を思ったのだろうか。そんなことを思うと怖くなった。首筋から肩口に掛けて細かな震えが、走り抜ける。  ―――煩わしいと、思われるに決まっている。  急に寒くなった体を白く清潔すぎる布団で頭まで覆い隠した。怖いと思えば思うほど、その感情をどう発露していいか判らなくなる。発露するなど、考えてはいけないように思える。その荷を晴人に預けてはいけない。一端に触れただだけで、晴人はを引きずり出すはずだ。そして、晴人によって全てが暴かれてしまったら。自分の持つ全てが、曝され、知れてしまったら。  ―――全てを知られてしまったら?  過去は消せない。背中やら腹やら頭やら、全てにべったりと張り付いて、それを引き摺ったまま、地続きになった今を歩いている。どう継ぎ接ぎしたってほつれたあたりから滲み出しては目の前の人間に負うてきたものをちらつかせる。そして時々、強烈な力で持って、今の自分を引き掴む。  忘れるなと、お前の根源はここにあると、知らしめるように。  自分が急速に小さくなっていく気がした。  最後に引き取られたあの家の、自分の悪癖の原因が、今にも布団を引き剥がしてきそうでシーツを握る手に力が篭った。強く握り締めるうちに、空恐ろしいものがやってくるような心地がして、心臓が凍てついていく。  ―――晴人さんだけじゃない、もしも、  覆った布団の向こう、微かバイブの音がした。こんなときに限ってそれは、不幸染みた不吉さでオーバーテーブルを揺らす。判っていた。本当に怖いものは最も効果的なタイミングで、自分にダメージを与えてくる。  判っていて、それでも、一縷、自分をさす光が、あの強い眼差しの光が、思いもかけず答えてくれたのではないかと期待してしまう。期待して重い布団を剥がし、端末に手を伸ばす。指先がそれに触れる前、表示された文字に、息が詰まる。多分、今、自分はまさに能面のような顔をしているのだろうと、どこかよそから見ているように感じた。  『私から呼ばれたら、三秒以内に応えなさいよ。』  粘っこい、甘い声が耳の中に響く。ヴィー、ヴィーとテーブルの上でスマホが振るえ、かすかに動く。  『当たり前でしょ、アンタはよその子(おとうと)なんだから』  違う。一時はそうだった。でも今は違う。18を過ぎて、自分の意思で籍をはずしてもらった。義父はそれに何も言わなかった。  『さーん』   記憶の中の少女が嗤う。色つきのリップクリーム。つんと尖った鼻先、切れ長の一重。スマホの震動が、圧し掛かってくる。  『にー』  もう自分には関係ない。縁は切れたはずだ。切ったはずだ。義父にもちゃんとそういう制約を付けてもらったはずだ。期待していた通りにならなかったことを何も言わなかったのは、義姉の僕に対するを少なからず察していたからに違いない。  『いーち……』  だとしたら、僕は悪くない。もう開放されたはずだ。もう開放されていいはずだ。  「遅いんだけど」  過去が一史の手を引き掴んでスマホを耳に当てさせる。  「私が呼んだらすぐ応えてって、言ったじゃない」  右耳に流れ込む義姉の声はあの頃と変わらないまま、優しく甘美で、絶望の匂いがした。
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