泰然の、白縹

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 網膜に焼きつくフラッシュと轟音で襲い掛かってくるEDMに脳を揺さぶられながら晴人は周囲に他人をまとって尚頭ひとつ分飛びぬけて目立つ有栖の横顔に睨みを利かせた。  箱には何人か外国人らしい姿も混じっていているが、有栖ほど目立つ人間はいない。肩幅こそ晴人ほど広くはないが締まって無駄の無い背中に括れた腰、小さな尻の下には脚が長く伸びている。それを揺らし名前も良く知らないような複雑な足捌きで、軽やかにステップを踏む。よく脚が絡まらないものだと妙に感心する。有栖の側で見ていた女の何人かが大げさに感嘆の悲鳴を上げた。  有栖の素性も知らず、ただ見た目に釣られて近寄ってきたのだろうことは明らかだった。  脚と同様、広げると網のように長い腕がウェービングの動作に入ったとき晴人はその肩を力任せに掴んだ。 「喫茶店にいるって、言ってませんでしたかッ」 「ッ!!」  強張った筋肉の感触が掌を伝った瞬間、有栖の体が沈んだ。有栖の全身に漲った緊張が周囲から音を消す。重心を低く落とし、踏み込めばすぐにでも間合いを詰められる体勢に移行した有栖は腰に宛がった手が空を掴み、乱反射するカラーライトに照らされた眼前の顔が晴人であることを認めて緊張、焦燥、安堵と忙しない勢いで表情を変えた。 「アハッ、」  破裂音に有栖が笑ったのだと気付かされる。泰然とした動きで緊張を弛め、ゆったりと晴人の目の高さにに有栖の顔が戻ってくる。 「何だ、周防か。あー、びっくりした。脅かすなよ」 「……それは、こっちの台詞です。」  片頬の笑窪を見せて有栖が笑う。気の抜け切ったふにゃけた面構えが晴人の顔5センチにまで寄ってくる。持ち前の距離感の近さによるものだけではない。呼気から漂うアルコールが原因だろう。「あは~、あは~」と壊れた玩具かあるいは頭に旗の刺さった往年のキャラクターか判らない笑いを漏らしながら有栖は晴人の肩にもたれる。有栖を取り巻いていた女達が大げさに黄色声で心配だか誘惑だかわからない声を上げていた。 「出ますよ。」 「嫌だよ、落ち着くんだよ。クラブって。」 「こんなへべれけで何言ってんですか」  嘘だ。泥酔状態の有栖だからその言葉を疑うのではない。さっきの体勢、一瞬重心を低くし、眼光が正気よりもはるかに研ぎ澄まされた。一瞬腰に宛がわれた手。  あれは間違いなく、武器を探していた。 「帰りますよ。」 「えー、周防が言うならしかたないなァ」  幾ばくかとはいえ自分より大きな体が背中に容赦なく圧し掛かってくる。自分を小柄だとか非力だとか思ったことは無い。衰えたとも思わない。だが、有栖の重みは一史とは比べ物にならないものだった。 「いや、自分で立って、歩けよ」 「帰るって言い出したのは周防なんだからつれて帰ってよ。」  からからと上機嫌に笑う声がハウスミュージックに変わったフロアに馴染んで消える。背中の上で有栖が女達に手を振り、作った不貞腐れ顔で女達が去っていく。背負われる大男の異様に声を掛けずとも出口までの道は開けた。
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