懐旧と疑念の、青

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 母親の胸に抱きついた少女は、こちらを見ようとはしない。  ーーー書いているときは、よかったんだ。  「お母さん、帰ろう」  少女は晴人を見もしないで母親のブラウスの袖口を引いた。黒い冬服のセーラー服のなかで、細い肩がこわばって、震えるのが見えた気がした。  「でも、」  母親は躊躇うが少女は行こう、と頑なに袖を引く。不承不承に母親は晴人を伺い小さく頭を下げると娘の賞状と副賞を預かり背を向けた。  ちらと、晴人を見た少女の目が。  訝しみと、困惑に満ちていた。  晴人の指導のもと作文していたときは、まるで恋でもしているかのような熱情じみていた目の色が、今はどこか恐れるような色に変わっている。それは、作文の選考が、上位にいくにつれて滲んでいったものだった。  はじめは、ただただ、書くのが楽しくて仕方ないと、自分の思考が拓けてそれに見合った言葉で紡がれていくことが、ただただ嬉しくて仕方ないとそんな横顔でシャープペンを走らせていた。  書き上がったものを読み返したときの、夕日を反射した瞳の煌めきを、克明に覚えているというのに。  ーーー子どもというには、聡すぎる。大人というには、潔癖すぎる。  中学生と言うのは難しい。  「大臣賞を受賞した子、随分暗かったな」  「中学生だからな、緊張したんだろ」  機材を片付ける取材陣の言葉を聞きながらはた目に見てもそう思えるほどだったのかと、晴人は深く息をつく。その表情をさせたのは間違いなく自分だった。  「気づいちまっただけだろ。」  耳元で聞こえた声に、晴人は反射的に振り返る。浅黒い肌の男が違うことなく、晴人の耳に囁いていた。  「あの文章は自分のものじゃないって」  色の薄いカサ付いた唇が再び動いて形を作る。その低い声に聞き覚えがあった。男はひっつめてひとつにゆわいていた髪をほどく。くしゃくしゃの癖毛は肩に掛かるほど長く、左眉の上に引きつれた裂傷が見えた。  「あ。」  見覚えのあるその傷と髪の組み合わせに、晴人は小さく身震いした。  「あの子の指導者は酷なことをするねぇ」  そうは思わないか?と、瀬戸(せと)有栖(ありす)は唇を歪めた。
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