懐旧と疑念の、青

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 そう笑った瀬戸の目には、以前の自分と同じ獣の光が宿っている。広げられた原稿用紙のコピーを目線で確認して煙草を灰皿に置いた。  「カメラマンのあなたがなんでそんなもの、持ってるんです?」  「だってー、俺も選考員のひとりだもん。」  子どものように屈託なく笑う頬に笑窪が現れる。片側だけのそれは、瀬戸が晴人より5つも年上であることを忘れさせる。十数年の歳月が宙に浮いて霧散して、当たり前のように授業を中抜けして屋上で仰いだ空を思い出させた。  指先で原稿用紙を引き寄せ、琥珀色の液体で唇を湿らせる。喉に焼き付くアルコールの強さが、今はもう未成年ではない自分を如実に物語った。  「大体、その生徒は俺の勤務校の生徒じゃありませんよ」  作文に目を通し、ここまでの文章が書けたのだなと感慨深くなったことを思い出した。自分宛にこの原稿が送られてきたのは、二月(ふたつき)ほど前だろう。  児童虐待の実態を現実的な描写で克明に書いたその文章は、作品と言うよりは最早加虐者全体に対する告発文に近い。大臣賞を受賞した作文が客観性に終始しているのに対しこちらは主観を隠しきれておらず、ともなれば作者自身に被虐経験があることが見てとれた。  実際、彼女は虐待から自分の力で逃げ出し、新しい生活をしている少女だった。義父から謂れのない虐待を受け、母親からも見て見ぬふりどころか同様の虐待をされながら幼い弟を守る少女。  しかし、新しく生きる場で彼女がその過去を曝したことに晴人は驚かされた。  「嘘だね」  瀬戸はまたあのチェシャ猫染みたニタニタ笑いを顔面に張り付け、唇にグラスを運ぶ。まるでミラーのように二人グラスに口付けながら、並ぶ様は他からどう映るのだろう。  「少なくとも『関係』はしてる。お前の勤務地は千葉で、この作文の生徒は長崎に在籍してるが、どこかで接点があったはずだ。」  グラスを持たない方の手で瀬戸は晴人から原稿用紙を取り上げる。取り上げて鼻先に翳し、すん、と鼻を鳴らした。  「お前の文の匂いがする。」  そういって小鼻をひくつかせる。変態的なまでに晴人の文章に執着する瀬戸の本質を思いだし、もう一度ウィスキーを口に含み、飲み込んで唇を開いた。  「転出したんですよ、うちの学校から」  「で?」  それだけじゃないだろう?と無音のままに問われる。問われて、促される。    
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