懐旧と疑念の、青

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 空になったグラスをカウンタに置き、適当なカクテルをバーテンダに要求する。陰鬱さの漂うバーテンダは何も言わず、そのグラスを下げた。その手元に目をやる振りをして、目線を逸らす。そんな向こう見ずを、自分の才に自惚れた行動を、誰もがとれるわけではない。瀬戸有栖だから、できたことだ。  「折角、全部切ってやったのに」  その言葉に、視線が瀬戸に帰った。唇を尖らせた瀬戸は全く悪びれない表情でバーテンダの手元を見ていた。  「なんて、」  「俺が手を引いたらあの企画、倒れちゃったでしょ?それで周防がカイシャ辞めたって聞いたからチャンスだと思ってさ」  カランと音を立てたシェイカーを注視したままで、瀬戸は言葉を続ける。  チャンスとはなんだ。なんの話だ。切った、というのは。不穏な予感に腹の奥がむずむずと痒くなる。尻の定まらない筵に座らされているような心もとなさに、先を聞きたいような、耳を塞ぎたいような気色悪さに苛まれる。  「お前の名前の記事は採用しないでくれって各社に手回ししたのは俺だよ」  全く悪意のない顔で笑う。本物の脅威は善意の顔をしているのかもしれない。  「国内に居場所がなくなれば、外に出る他なくなるだろ?」  出されたピスタチオのからを剥ぎながら、歌うように、妙案を披露する朗らかさで瀬戸は語る。  その姿が真っ赤に染まる幻覚を見た。視界が赤くなる。 自分でも狼狽えるほどの憤りが臍の下辺りから沸き上がってくるのを感じた。じりじりと、煙草の巻き紙が焼けて短くなっていく。  「お前なら、こんなところには見切りを付けて俺の傍に来ると思ったのに」  小さく小首を傾いだ様は30代とは思われず、本当になんの邪気もなく瀬戸は自分を欲しただけだった。  しかしそのために、自分が味わわされた思いを、瀬戸は知らない。フリーになったとしても幾つかの記事を書いていけるだけの、拾ってもらえるだけの仕事をしてきたと自負していた自分が、全て否定されたときの絶望を、持っていった記事を否定される度『お前などその程度だ』と『お前の代替など幾らでもいる』と、そういわれているような気がした自分の自尊心を、気がつけば自分より劣った記事を探すことで、辛うじて正気を保とうとしていた浅ましい自分自身を、全て。  瀬戸は知らない。
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