懐旧と疑念の、青

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 自分がしたことが、如何に晴人を追い詰め、踏みにじったのか、全く理解していない。  「なんでだ?」  無言になった晴人に瀬戸は問いかける。晴人の表情の変化も、感情の機微も読み取ることのできない愚鈍さで、純粋に晴人を見つめてくる。  「周防ならこんな狭い場所にとどまる必要はないだろ?俺はお前の文がほしい。だから、お前が書きたがらないなら、お前が書きたくなるような写真()を撮るし、なんなら、お前一人だってやっていけるように……」  カウンターの上を小降りなグラスを握ったままの拳が跳ねた。  半分ばかり残っていたスコッチが晴人の手指にかかる。シェイカーを振っていた音が止まり、数人程度の客がこちらに視線を向けるのがわかった。  「周防?」  瀬戸のやり方は傲慢で独りよがりだ。だが、純粋すぎるほどの純粋で、彼はその独善を行動に移しているのだ。多少ツテのあった出版社の悉くから掲載を断られたとき、ちらと頭を過るものがなかったわけではない。海外へ飛ぶ勇気はなかった。でも、書くことを捨てられなかった。人の腐った欲望を満たすような下卑た記事を書くことも考えた。その筆を止めたのはふたつの『顔』だった。  ひとつは、今目の前にある顔だ。『現実』に起こっている出来事を躊躇いなく切り取り、ファインダーに納め、文筆よりも遥かに雄弁に語る男の顔。この男の矜持に焦がれた自分を捨てきれずにいたからだ。  もうひとつは。  「お前も、俺を利用すればよかったのに」  けろりとした顔で瀬戸は日に焼けた肌に埋まる、白目が異様に鮮やかな目を瞬かせた。  「フォトグラファーとしての俺は優秀だよ?」  こちらを見たままなんの屈託も謙遜もなく、瀬戸は笑う。第三者からの評価も、自己の評価も事実世界レベルの瀬戸有栖は純粋に自分を評価している。  「お前が世界に出たいといえば、俺は幾らでもお前と同行するよ。お前の文に見合った写真(そざい)を用意するよ。」  それこそ、世界の果てにいってでも。  瀬戸の大きな掌がカシューナッツを大振りな口に放り込む。硬質な煌めきが一瞬覗き、かりりとそれを砕いた。  「俺の写真で記事を書くことになっていたひよっこだって、お前を利用しただろ?」  なんの悪気もない声で、言葉で、瀬戸は再び晴人を揺さぶった。
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