好意の、赤

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 軽く、ねだるような物言いで決して強要するような強引さを持たずに。確かめるように。甘える。  「かーずーしー」  茶化して笑って、その両手が一史の両手の上から両耳を挟む。挟んで上向かせて、やんわりと目を会わせる。  「好きだ。」  自分が言いたかっただけであるように言う。言われるだけで一史の胸にささやかな安堵が灯る。  愛されている。  まだ、好きだといってくれる。  安堵が灯る度に自分の不甲斐なさを痛感する。晴人は間違いなく、自分に安心を与えるために、あえて言葉にしている。本当は、口数の多い方でないことを、一史は知っている。でも、あえて口にするのは一史に言い聞かせるためなのだ。言い聞かせて、何度も、何度も、安堵を与える。離れることはないと、放しはしないと、伝えるために言葉で縛る。  俺もだと、伝えなくてはならない。伝えたい。決して、一方的ではないと、放して欲しくないと。  そう思いながら、唇は固く動かない。情交の最中なら、まだ、容易とはいかないまでも口にすることができるのに、素面だと言葉を紡げない。上手に伝えることができない。  俺もです。  そう一言、言えばいいだけなのにそれができない。  耳元でアラームがなる。晴人は腕時計に目を移す。公的な場には相応しくないだろう厳つい見た目の腕時計。  「さて、時計も替えて出なくちゃならないな」  バンドを外しながら、名残を惜しむようにまた、額に唇を落とす。その感触がこそばゆい。  「一史が焦らすから家出る前に一仕事しなきゃなぁ」  意味深に笑んだ顔がイヤらしい。完全に下ネタ好きのオヤジだ。  「『オテツダイ』してくれる?」  右手の人差し指と親指で輪を作り、開いた口の前に持ってくるしぐさが卑猥だ。それが何を意味するかわかっていて、一史は立ち上がり、晴人の背中をぐるりと玄関の方へ向けた。  「おっ、と。」  「下らないこといってないで!早く仕事いってください!!」  「昨日はしてくれたのにぃ」  その言葉にまた顔が熱くなる。ぐわと熱帯びて力一杯晴人の背中を押した。  「判った。判ったから押すなよ」  まだ、楽しむような空気を孕んで晴人は笑う。笑いながら玄関先でクラッチを拾い、革靴に足を突っ込んで振り返った。勢いをつけすぎた振りをしてその胸に顔から突っ込む。シャツの胸から、晴人のタバコの匂い。
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