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弟マルクスのいるスッラの軍隊は、今年度の執政官キンナの名において逆賊扱いされている。民衆派を標榜するキンナは保守派のスッラの軍隊を、ローマ正規軍として認めないと宣言し、新たに討伐軍を編成中である。
「マルクスと父は、まったくそりが合わなかった。あの子はとても繊細で、人と争うことを極端に嫌がる。血を見るのが大の苦手で、犠牲式で鶏を絞めるのを見てから、肉が食べられなくなったくらいだ。やさしいんだ。男にしては軟弱すぎると父は怒っていたけれどね。あのマルクスに軍団勤務なんて勤まるわけがないのに」
一人前の市民ならば、それだけの義務を果たしてこなくてはならない。父はそう言って、弟マルクスを軍隊から呼び戻してほしいというキケロの懇願をはねのけた。
スッラの軍隊が逆賊扱いとなった今でも、父はマルクスを呼び戻そうとはしていない。キンナによる支配がいつまで続くかわからない。スッラが無事に帰国すれば、政権はまた覆るかもしれないと父は言う。キケロがどれほど弟の身を案じても、どうすることもできないでいた。
「傷口が汚れるのはよくない」
不意に、指先に濡れた感触があった。
なにをされているのか、すぐには理解できなかった。
「え……あっ」
キケロの指先は、友の濡れた口に含まれていた。
アッティクスが割れた爪を舐めている。できたばかりの傷口になまあたたかい舌のざらつきを感じる。同時に、臓腑の奥まで引き絞られるような錯覚を覚える。思わず身震いしていた。
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