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「よ、せ」
赤くなったキケロが手を引っこめると、アッティクスは一瞬真顔に戻ったが、すぐに苦笑いを浮かべていた。
「すまない。悪かった」
「いや。こっちこそ」
我に返ってあたりを見回すが、観客は試合に夢中で二人のやりとりには気づいていないようだった。
「出ようか」
キケロの視界を、見覚えのある人影が横切った。
振り返ると、小柄な少年奴隷と恰幅のいい禿頭の男が身をよせあっていた。二人の手が重なる。なにかを握らされているらしい。目を凝らして様子を窺うが、後ろ姿しか見えないので確信は持てなかった。
「え」
蜂蜜色のやわらかそうな髪が揺れている。一瞬、目の端を通過しただけの姿はアッティクスの従者のナルキッソスに似ている気がしたが、他人の空似かもしれない。キケロは小さく首を傾げた。
「どうかしたのか」
足を止めたアッティクスが振り返る。もう一度確かめようとするが、少年奴隷と男の姿は人ごみにまぎれてわからなくなっていた。
「いや、なんでもない」
キケロが言うと、アッティクスはそれ以上尋ねることはなかった。
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