旧友との再会

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 時は紀元前八十六年春。共和政末期のローマ。  古代ローマ帝国といえば、現在のヨーロッパ、中近東、北アフリカを抱える広域の領土を支配したとして知られている。しかし、紀元前八十六年は、第一人者(プリンチェプス)を頂点とする帝政を樹立する前のことであり、イエス・キリストの誕生以前である。  都市国家ローマは三度の大戦を経て宿敵カルタゴを滅ぼしたのち、元老院主導のもとで効率よく組織的な軍事力と、安定した流通網がもたらした右肩上がりの経済力をもって、地中海世界に覇権を唱えようとしていた。  いまから遡ること二年前。  ポントゥス王ミトリダテス六世が、属州アシア在住のローマ人八万人を血祭りに上げ、ローマの覇権に叛旗を翻した。急遽、ミトリダテス討伐軍を編成することになったが、指揮権をめぐって保守派の執政官(コンスル)スッラと民衆派の老将軍マリウスの二人が対立した。  ノーラに集結していた討伐軍は、執政官(コンスル)スッラに率いられて首都ローマへ引き返し、マリウスを担ぐ民衆派を一掃してから東方戦線へ向かった。  ローマ市内へ入る際は、いかなる立場の人間でも武装解除することが必須である。スッラが武装した軍団を従えてローマ入りしたのは前代未聞の出来事だった。  この討伐軍に志願していたキケロは、父の縁故でスッラの近習を務めていた。しかし、厳しく過酷な軍隊生活がこたえて体調を崩し、東方へ向かう前に中途で任を解かれていた。
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