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穏やかな風が心地よく、一帯に広がる高原で遊んでいる子供達を眺めていると、まるで此処に長く住んでいた気分だ。
(どのくらいぶりだろうか…こんなに穏やかな気持ちになれたのは)
貴族の令嬢に籠の鳥と言われる方々は多いだろう。私がサリエルとして生まれてからはまさにそれだった。
それも、今世の人生大半は社交の場にすらなかなか出られない籠にいた。多分前世の記憶が無ければ随分と狭い視野になっていただろう。
だからなのか尚更に、こんなにも広大な景色を見ていると、世界の一部に触れたみたいで、この領地住まう人々の何気ない生活を思い描くと、じわりと心が暖まるようだった。
「あの子達は、近所の子供同士で遊んでいるのでしょうか?」
「そうだろうね。この辺りは近所付き合いが良いと聞くから」
もう空が赤くなってきて、1日が終わってしまうのが物悲しい気持ちになった。
(もし、隣国へ留学したら此処にはもうこれないかもしれないわね…)
そんな気持ちを隠して、フランツと他愛ない話をしていると、子供達が遊んでいたボールが、サリエルの側まで転がってきた。
まだ5歳にも満たない男の子が懸命にボールを追いかけていたが、転んでしまったので思わずサリエルがボールを拾って駆け寄る。
転んだ男の子は泣き声をあげて、目を擦る。お姉さんらしき女の子が迎えに来てサリエルからボールを受け取ると、男の子の手を引いて友達の元へと帰ってゆく。
忘れかけていた前世の姉の姿を思い出しながら、懐かしさが胸に込み上げて、思わず笑みが溢れた。
踵を返して木陰に戻る為急いで足を進める。
「とても良い子達でした、お姉さんがお礼にと、飴をくれました…」
話の途中で言葉をとめたのは、木に背を預けて目を閉じて眠るフランツの姿を見つけたからだ。
(…昨晩もお仕事だったとなると、やはり寝ていなかったのでしょうね)
このまま寝かせてあげたいのは山々なのだが、太陽が傾き、肌寒くなってきた外で寝てしまうと風邪を引くかもしれないと、膝をついて、起こすべきか迷い、手を止めた。
(あの孤島以来かしら、寝顔を拝見するのは…。
綺麗な寝顔…)
孤島での事を思い出す。フランツの記憶を消してとメリルが言っていた。
あの時フランツは意識を失っており、消そうと思えば消せたタイミングだった。
だけど、ミゼル達団員が来た事で消す機会を失ってしまった。
(いや、自分が消したくなかった…)
もしかしたら、大丈夫なんじゃないかと思って淡い期待もした。
『最近特にリリアスの実家ミュンゼンハルト伯爵家が煩い』
公爵位など要らない、そう私が思っていてもそうはさせないと抵抗する人々が出てくる。
結果が同じでも、抵抗が激しい程にラドレス公爵の汚名にしかならない。
フランツなら父の力なんて無くても、そんなもの達の鎮圧など容易に出来てしまうだろう。
だけど、そうはしない気がする。
何でもそうだが、後継争いに勝つ方法は相手を退かせることだ。
簡単で最短なのは私の決定的な欠陥を世に知らしめること。
別の方法を取ろうとしても私の背景にいる者を鎮圧するというなら、私が無傷でいられる方法なんか無いに等しい。
だけど、今のフランツでは私に少しでも傷を付けない為に何も言わずに、しなくても良い苦労を厭わない気がする。
そのくらいは…気付いてしまった。
『貴方の代わりに誰かが不幸になる』
メリルが言っていたように。こうした事情ひとつとっても私の幸せと、フランツの幸せは両立しない。
留学で離れても、今のままでは駄目だ。私の為などと躊躇わせたままでは置いていけない。
(こんなタイミングで、チャンスがあるのねー…)
起こす為に肩へ伸ばしかけた手を、そっと額にふれるべく恐る恐る移動させる。
頬のあたりに近づいたとき、風に靡いた銀の髪がさらりと触れて、手が震えた。
(消すならきっと、今しか出来ない…)
記憶を消さずに済む方法を取ろうと思って行動にしていた筈だった。だけど私が演技をしても、今のフランツは何故か見抜いてしまう。
私の本音を見透かしてるかのような瞳でー…
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