猫に小判

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猫に小判

 例えば……目の前にとてもキレイな『器』があるとしよう。そして、その『器』が歴史的にもとても『希少なモノ』だとした場合。  人間はどんな反応をするのだろうか。  しかし、私にはその『器』がどんなに『キレイ』だろうが、歴史的に『希少』なモノだろえが、その価値は分からない。  ただ一言だけ言っていいのなら……「器は沢山入ってなんぼでしょ?」と言いたい。  それなのに人間は『キレイ』とか『希少』というだけで判断する事がある。  でも、その『器』を作った人の感情や歴史が果たして見ている全員に届いているのか……と言うと、正直分かったものではない。  しかも、そういう時は大抵『観賞』という大層な言葉を使って、仰々しく沢山の人が集まってその『器』を見る。  その光景は……まるで魚が『エサ』に集まっているようにすら見えてしまう。  私には正直、そんな人間たちの事が全く……分からない。確かに、分からなくても別に困りはしないのだが……。  でも、やはり『器』と言っているのだから、使う……という事を前提にして、沢山モノが入った方が良いのではないだろうか。  本当に……人間はよく分からない。  ただ、どうやら人間の間ではそんな私たちに向けた『(ことわざ)』というモノがあるらしい。 『猫に小判』  正直、人間にどう言われようが、どう思われようが私たち『ネコ』は気にはしない。  でも……ここはやはり一言、言いたい。  人間には人間にしか分からない『モノ』や『感覚』があるように、猫には猫にしか分からない『モノ』や『感覚』がある。  とりあえず……他からどう見られているとか、見られるか……とか『評価』や『評判』を気にしすぎじゃないだろうか? 『…………』  なんて、ついさっき美術……多分、絵画と思われる『チラシ』を捨てていった人間を思い返した。  正直、あの人間は……その個展を開く人間に『嫉妬』していた様に見える。 「はぁ、誰が行くのよ。こんな素人の個展なんかに」  そう言っていた姿は、どこか悔しそうに……私には見えたからだ。
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