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寝惚け
部屋の空気がゆるんだ。
「ばたん」という音がする。
自分は、まぶたが開いたというだけで、体と頭のなかは、まだ生物としての自覚がなく、意識だけが目の前を漂うホコリと同化し室内を浮遊している。
横に伸ばしていた腕に違和感があった。
いつもここにあるはずの重みが消失している。
焦燥感が沸き起こり、身を起こした。
妻がいない。
『ばたん』と、閉じられた玄関のドアと、そこから出て行く妻のうしろ姿が目にうかぶ。
時計を見て、現在の時刻を確認する。
午前5時32分……いま33分になった。
妻はどこに行ったのだろうか。
新聞を取りに行ったのか、ゴミ出しに行ったのか、それとも近所で何ごとかが起こり、ようすを見に出掛けたのか。
妻の寝ていた布団に触れると、まだ温もりが残っていた。
自分は、その温もりを妻のからだに見立て、手のひらでやさしくまさぐった。
ーー昨夜の妻の乱れた姿を思い出す。まだ夢見心地だった。
妻の敷き布団の上に汚れがあった。
それは足跡だった。
迷路のような靴底の跡が複数入り乱れて、妻の布団を踏みにじってあった。
そのひとつと、自分の手のひらとをくらべてみる。
当たり前だが、靴跡のほうがおおきい。
自分はこのただならぬ状況を目の当たりにしてどうするのだろうか。
髪の毛を掻きむしり嗚咽するのか、唖然としたあと、われに返り、着のみ着のまま表に飛び出し、妻の名前を叫んであたりを駆けずりまわるのか……。
そう考える自分だが、頭のなかにはまだ靄がかかっている。
自分はそんな性格ではない。
そんなふうに、役者みたいに芝居がかった立ち振舞いはできない。
――自分の身の丈に合わない行動は、どこか嘘臭くなる。
妻には、ことあるごとに感情がないようなひととよく言われていた。ーーが、そんなことはない、感情はある。ただ、しごくまっとうな性格なだけだ。ごく普通なひとなだけだ。
このような状況におかれても、やはり自分には自分なりの態度しかとれない。
――まだ、頭のなかには、靄がかかっている。
ひとまず、警察に連絡しなければならない。
自分は110番に電話を掛けた。
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