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一、法務部配属
6月中旬。僕の24回目の誕生日も過ぎたころ、製造現場での実習も終わり今日は、配属先の辞令がおりる日だ。この日ばかりは作業服にジーパンという製造現場のスタイルから、スーツにネクタイという堅苦しいスタイルに戻るときである。
僕が入社した一部上場企業の自動車部品メーカー、岐三(ぎさん)工業株式会社では、男性新入社員に事務職採用でも二か月にわたる製造現場での実習が課せられる。
この現場実習は、自動車部品を一分一秒たりとも手を休める暇もなく組み付ける単純作業をひたすら続けるというまるでチャップリンの映画モダンタイムスの様な過酷な世界である。また、驚くことに部品組み付けラインは其のほとんどが女の子で、物凄く手際が良い。僕なんかそのスピードについていくのに必死であった。これが日本の物づくりを支えているのだという実感と、大変さを思い知らされたのであった。その代り稼ぎは非常にいい。何せ残業手当は付くは、隔週、破格の夜勤手当は付くはで結構まとまったお金を手にすることができた。でも、初めて経験した深夜勤務は夜の九時から朝の八時までで、生活のリズムが崩れて体調は壊すし、通常はみんなが出勤する時間に帰宅して睡眠をとり、みんなが帰る時間に起きて出勤するという違和感は堪らなかった。こんなことで毎日ヘトヘトになるまで働かされ、社会人になって楽しみにしていた同期の女の子たちとの合コンをやる暇も気力も無く、そろそろ嫌気がさしていたところだった。要領のいい同期は残業を一切拒否し、定時の夕方5時にはとっとと帰っていき、職場の上司からは「定時マン」と陰口を叩かれつつも合コンに明け暮れていた不届き者もいた。なにはともあれ、製造現場で働いている人の苦労が嫌というほど分かりいい経験になった。
とにかく、二か月間、現場で油まみれになって働いてきた僕にとっては、待ちに待った日である。
集合場所の広い会議室に入ると学校の教室みたいに机が並ぶ。
そこで、人事部の課長が前に立ち新入社員一人一人の名前を呼び上げ辞令を交付する。そして後ろの席で待機している配属先の課長が新人を職場へと連れて行く。
一人また一人と新天地へと羽ばたいていくのだ。
いよいよ僕の番がきた。「いまい たかのり君」頬のこけた神経質そうな小男の人事課長が声のトーンを上げ僕の名前を呼ぶ。「はい!」僕は、期待に胸を弾ませ人事課長の元へと向かった。
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