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帰省の憂鬱
ふるさとは遠きにありて思ふもの、と室生犀星は言った。
確か、中学か高校の国語の授業で。
以来、その詩の知識を求められる場面はなかったけれど、授業の一環で暗唱させられたので、今でも諳んじることができる。
ふるさとは遠きにありて思ふもの
そして悲しくうたふもの
よしや
うらぶれて異土の乞食となるとても
帰るところにあるまじや
当時の国語教師の話によると、犀星は故郷を懐かしんでいたわけではないらしい。むしろこの詩を書いたとき、詩人は生まれ故郷の金沢にいた。
勇んで上京したものの、なかなか文学で身を立てるところまではいかず、東京と金沢を行ったりきたりしていた時期の作品なのだ。
俺はビッグになるぜ!と出ていったのに、無名のままちょくちょく帰ってくる。そんな犀星に故郷の人々は冷たい。少なくとも、若き日の室生青年には冷たく感じられたのだろう。だから詩の後半はこう続く。
ひとり都のゆふぐれに
ふるさとおもひ涙ぐむ
そのこころもて
遠きみやこにかへらばや
遠きみやこにかへらばや
頭の中でこの部分をくり返すたびに、故郷の川べりで体育座りをしている青年の姿が浮かんでくる。
やっぱり東京に居ないと駄目だ。東京で生活しながら「あー金沢が懐かしい」ってたまに思い出したりする、そういうのが成功者なんだ。よし、東京へ帰ろう。
青年は袴の尻に付いた草土をぱたぱたと払って立ち上がる。
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