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前原ノア。年齢はふたつ下の二十六歳。ノアなんていう名前のくせに、乗ってる車はトヨタじゃなくてマツダだ。
母好みのワンピースに着替えたあたしは、ノアが運転するアクセラスポーツの助手席で腕時計を確認した。病院の面会時間は夕方四時までらしく、あと三十分しかない。
後悔していた。こんなことなら、母の不興を買ってでもライダースファッションのまま病院に乗り込めば良かった。そうすれば、あたしは帰宅早々、気まずい思いをしなくてすんだだろうし、ノアだって姉の運転手を務める代わりに恋人との逢瀬を楽しんだだろう。
「あの子は送っていかなくて良かったの?」
休耕地がひたすらに続く車窓から視線を上げて、運転席の弟にたずねる。
あの子、と言ったのは、弟のあとから脱衣所を出てきた相手(弟と違ってちゃんと服は着ていた)が、どう見てもノアより年下だったからだ。
上背はノアと同じくらいあったけれど、全体的にひょろりとして、まだ大人の身体になりきっていない。たぶん、十代の後半くらいだろう。
向こうは、あたしに対する警戒心を隠そうとしなかった。それでも彼のほうから「こんにちは」と挨拶をしてきたことに感心させられる。
やるな若者。それはまあ良いのだけど、未成年かあ……。
「セイはいいんだよ、このあとバイトだから。うちからすぐのとこ。自転車が置いてあったろ?」
ノアが答える。あの、乗るのに体力が要りそうなママチャリは彼のものだったらしい。
「ふうん、セイっていうんだ? 苗字? 名前?」
「どっちでもない」とノアは答える。
「強いて言えば呼び名かな。ああいうことをするときの」
変なルールだ、と思ったけれど、突っ込んで聞くことはしなかった。ゲイの文化には詳しくない。でも、ゲイの男性が本名を伏せて相手とコミュニケーションを取ることがあっても不思議ではない気はする。
ノアが例外なだけで、同性愛を周囲に知られたくない人間も多いはずだ。そう考えれば、セイの警戒心も“むべなるかな”である。
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