山の上ホテル

1/5
前へ
/20ページ
次へ

山の上ホテル

あれから十数年経ったのかと思うと感慨深いものがある。  平成最後の夏。私は傷だらけのキャリーケースを引き摺り、安いホテルの部屋のドアを開けた。どこかつんと鼻に刺さるような臭いがする。カーテンの隙間からは橙色の西日が差し込み、その光の中を無数の埃が踊っていた。  小学校のウサギ小屋を少し広くした程度のスペースに、ベッドがひとつ無理やり押し込まれている。軽いキャリーケースをその上に放り投げた。  数ヶ月前、初めて勤めた会社が潰れた。いずれこんな日が来るのではないかと危惧してはいたが、こんなに早くやって来るとは正直思っていなかった。  私は営業の仕事をする傍ら、某小説投稿サイトで短編小説を執筆していた。いくつかは書籍化されたり、ラジオで読まれたりしたが、仕事を無くして以来めっきり何も書けなくなった。いわゆるスランプというものなのだろう。時間は腐るほどあるが、腐るほどあるからこそ、何も書けない。よくあることだ。  転職先は未だ見つからず、唯一の取り柄だった小説もろくに書けず。居ても立ってもいられなくなり、昔母に連れてこられたこの町へとのこのこやって来たのだ。「夕凪浜」という、駅名だけを頼りに。     
/20ページ

最初のコメントを投稿しよう!

4人が本棚に入れています
本棚に追加