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ベッドに腰を降ろした私はノートパソコンを取り出して何か書いてみようとしたが、案の定何にも書けやしなかった。時間というのはあればあるほど無駄に消費するものである。今までだってそうだった。忙しくて、頭に血が上っていて、「このクソッタレ」と思えるようなものがたくさんある時こそ、滑らかに指が動く。本来やるべきことなど本当にどうでもよくなる。
時計に目をやるともう六時近かった。夕食はホテルの一階にある、小さな寂れたレストランで取るつもりだったので、私は部屋を出て一人寂しく一階へ降りていった。
ロビーにもレストランにも、誰もいなかった。場違いな狸の信楽焼がレストランの入り口の脇に鎮座ましましている。海を一望できる窓から差し込んだ光が、その間抜け面を朱く染める。まるで照れているようだ。
「何処からいらしたの?」
「このホテルは何で知ったのかしら?」
「普段何をなさっているの?」
「一人旅ですか?」
「つまらん田舎ですけど、ゆっくりしていってくださいね」
久方ぶりの宿泊客だったのだろうか、厨房のおじさんとおばさんがやけにしつこく話し掛けてきて、何を食べたかよく覚えていない。自分の置かれた状況が赤の他人から見れば不幸であることはわかっていたので、個人的な質問をされると気が滅入った。それなのにここの人たちは根掘り葉掘り聞きだそうとする。いったいなぜなのか。
気がつけば、早く平らげて外に出ることばかり考えてしまっていた。唯一覚えているのは、穴子の天ぷらがあったことだ。この辺りでは主に「はかりめ」と呼ばれている。
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