番外編 リクエストお題『ごめんってば!』

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番外編 リクエストお題『ごめんってば!』

「……疲れた」  目の前のディスプレイで虚しく輝く『COMPLETE』の文字を見詰めて、レンは握っていたコントローラーをデスクに放り出した。  別に、ゲームに疲れたわけじゃない。これでも、自他共に認めるゲーム廃人。今週分のウィークリークエストを数時間で駆け抜けることくらい、レンにとっては朝飯前だ。  体調が優れないというわけでもない。  少しの空腹感はあるが、吸血鬼のくせに昔から血が飲めず、空腹に慣れきっているレンにとっては、それも大したことではない。  なのに得意なはずのゲームにのめり込むことが出来ないのは、心が渇いているからだ。  レンの部屋は、昼夜を問わず常に暗い。  窓は全て遮光性の高い厚めのカーテンで覆ってある。それでも日中は、僅かな隙間から光が射し込んでくるが、今はその光もない。つまり、日はもうすっかり沈んでいるということだ。  ───また、来なかった。  閉まったままの自室のドアを見遣って、レンはキュッと細い眉を寄せる。  晴人が最後にこの部屋へやって来たのは、何日前だっただろう。  夏休みに入ってから、レンはようやく通学から解放されたが、晴人は部活があるからとほぼ毎日学校へ行っている。何でも大きな大会があるらしく、練習時間は夏休み前より多いようだった。  窓越しに入り込んでくる陽射しですら、レンにとっては参ってしまいそうなほど暑いのに、こんな中外で走り回れる晴人の体力は化け物だと、レンは本気で思っている。  いくら晴人の体力が化け物並とはいえ、それでも毎日何時間もグラウンドを駆け回れば、疲れも溜まるはずだ。  なのに晴人は、合間を縫ってレンの元へやって来る。  レンは、晴人が居なければ生きていけないからだ。正確には、晴人の血が無ければ、生きていけない。  晴人の血しか飲めないこんな厄介な吸血鬼を飢えさせないように、晴人は定期的に血を与えに来てくれる。  引き篭もりだった(今もそうだが)レンは、晴人が自分の元を訪ねてくることを、最初は煩わしいとすら感じていた。別に生に執着が強かったわけでもないし、何故放っておいてくれないのかと思っていた。  けれど今となってはどうだろう。  いつの間にかレンの中で大きくなっていた晴人の存在を自覚した途端、その来訪をついつい待ち侘びてしまっている自分が居る。別にまだ、強い空腹を感じているわけでもないのに。  好きなゲームをしていても、晴人の顔が脳裏にチラつく。  いつ自室のドアを開けて晴人が入ってくるだろうと、ソワソワする。  そして晴人が来ないことがわかると、今みたいに気持ちがズンと沈む。  こんな感情は知らない。  ゲームの難関クエストは簡単に攻略出来るのに、自分の気持ちは上手くコントロール出来ないのがもどかしい。  このままゲームを続ける気分にもなれず、レンはため息と共に腰を上げた。  晴人と一緒に庭で育てているミニトマトが、今朝も赤く熟した実を沢山つけていたので、収穫して冷蔵庫に入れてある。 「……一緒に食うって、張り切ってたくせに」  我ながら子供じみた恨み節に、またため息が漏れた。どうせなら全部一人で食べて、次に会ったら自慢してやる。  そう思いながら廊下へ出たレンは、何気なく窓の外を見やって目を瞠った。  門から入ってくる人影───晴人だ。  少し慌てた様子で足早に玄関へ向かってくるその姿に、レンは咄嗟に自室へ引き返した。  デスクの上のデジタル時計を見ると、もう八時を過ぎている。  ───いつもなら「そろそろ帰る」って言う時間なのに、何で?  早鐘を打つ鼓動が耳の奥にまで響いてうるさい。  動揺する心を鎮めるように、何でもないフリを装って椅子に座り、コントローラーを握った。  その直後、「黒執、入るぞ」といつもの声に続いてドアが開く。外はすっかり暗いのに、太陽の匂いと共に晴人がレンの部屋に入ってきた。 「相変わらずゲームばっかしてるのか」  呆れた声に、ディスプレイを見据えたまま「別にいいだろ」と素っ気ない声を返す。晴人のことなんて、まるで気にも留めていなかったとでも言うように。  ───こんな返事をしたいわけじゃない。  ゲームのキャラは意のままに動かせるのに、どうしてこの口は、レンの思うように動いてくれないのか。  心の中で悔やむレンには気付いていないのだろう。レンが無愛想なのはいつものことだと、気にした風もなく晴人は苦笑しながら歩み寄ってくる。 「遅くなって悪い。今日、ちょっと練習長引いた」  言われてやっと、チラリと隣に立つ晴人に視線を向けた。  学校名が入った、サッカー部の黒いジャージ。部活の後、その足でここまで来てくれたことがわかる。  長引いたならいつも以上に疲れているはずなのに、何故か晴人が謝る。また胸の中に、小さな後悔の染みが広がった。 「最近、あんまり来られなかっただろ。そろそろ腹減ってないか?」 「……まだそこまで減ってない」  こんな時間まで練習していたのなら、むしろ空腹なのは晴人のはずだ。だからこれは嘘じゃない。 「黒執、怒ってるか?」 「怒ってない」  コントローラーを握ったまま返した言葉も、嘘じゃない。  レンはただ、不貞腐れているだけだ。  気持ちを素直に口に出来ない自分に。  いつも晴人にばかり気遣わせていることに。  そんな晴人を、サッカーに取られていることに。 「悪かったって」  笑う晴人の手にくしゃりと髪を掻き混ぜられて、ああまた負けた…とレンは思う。  さっきまで空っぽだった身体と心が、ただ髪に触れられただけで、じんわりと満たされていくのがわかる。  他人に無関心だったレンにとって、『恋』という初めての感情ほど、攻略不可能なものはない。  晴人が身を屈める気配に、ようやくレンも顔を向ける。晴人の手がレンの持つコントローラーを奪うのを合図に、レンは敢えて渋々といった様子で目を閉じた。  本当はずっと待っていた晴人の唇が降ってくる。 「そう言えば、トマト獲れたけど」  甘い空気が気恥ずかしくて、キスの合間にボソリと呟くと、晴人が軽く肩を揺らして笑った。 「腹減ってるから、一緒に食おう。……って、お前はこっちの方がいいか」  こっち、と晴人が日に焼けた首筋を指す。  それはレンにとって蠱惑的ではあったが、小さく首を横に振った。 「今日は、トマトでいい」  短く答えて、レンは今最も味わいたい晴人とのキスを、思う存分堪能した。
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