5 我感じる。故に我在り

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 センティオの「我感じる。故に、我在り」という主張。私もそれについては否定しない。ミリンダに死をもたらしたサーバントへの怒りの感情の中に、私は自分の存在を強く感じた。これらの感情が故に、私たちはこの世界に確かに存在していると言える。  しかし、快感や苦痛を覚える主観があるからと言って、それだけで私たちが人類の末裔だとか、生命体だという理由にはならない。それは別問題だ。 「おい、飛ばし過ぎだよ」  オベロンがようやく追いついてきた。 「ごめん、つい夢中になって」 「テラのことを考えてたな。君は考えごとをするとまわりが見えなくなる」 「まあ、テラのことはいつも考えてるわ」  私たちは滑るのを切り上げ、プラットフォームに戻った。休憩所の席について冷たいジュースを飲んだ。 「前に、デュープリケートは人類が滅んだときの保険だって言ってたよね」 「ああ。まあ、俺はむしろ、デュープリケートこそが正当な人類だと思うけどね」 「クオリア……主観や感覚があるから?」 「そうだ。サーバントになくて俺たちにあるものだ」  オベロンやセンティオのようなクオリア至上主義者に共通しているのは、テラを見下し、テラの仮想世界に興味を示さないことだ。センティオにはテラの排斥運動を進めている者もいる。そのテラに私が強く惹かれるのは、あの中にいる束の間、自分が生身の人間になれる気がするからかもしれない。 「またテラのダイブ命令が出てるんだろ」     
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