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昭彦は黙り込んだまま、じっと財布を見つめている。
ふと、心の中にこんな思いがよぎった。
(これ…もらってく、か…?)
財布には、数えるのが面倒に思えるほど1万円札が入っている。
それを見たことで、彼の中からは痛みが完全に消し飛んでいた。
(こんなにたくさん金持ってる人なんだ、なくしたところで別に困ってないんじゃ…)
左手の親指で、札束の側面を次々に弾く。
まるで本のページをめくるように、札に描かれた肖像画を流し見た。
「……」
そんなことを三度ほど繰り返した後で。
(…なんてな)
彼は財布を閉じた。
小さくため息をつくと、そこから5分ほど歩いて交番に向かう。
結局、彼は1万円札の束を見ただけだった。財布を持ち帰ることも、札だけを抜き取ることもしなかった。
(そんなことができるくらい、悪くなれたら…もうちょっと、人生ラクだったかもしんないけどなぁ…)
拾得物の手続きをしながら、彼はそんなことを考える。
と、ここで交番のドアが乱暴に開かれた。
「あ、あああああのっ! お財布落としてしまってっ! 落とし物ありませんでしたかっ!?」
「お、お嬢さま!」
(え!?)
突然、若い女性の声と老人の声が続けざまに聞こえて、昭彦は振り返る。
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