参 遊戯の道

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参 遊戯の道

 火野坂恭介は人と人との繋がりを感じ取ることができる。  火野坂家は元々名のある陰陽師の家だった。本拠を紀伊の国に置いており、恭介の家は明治維新の後、開拓の波に乗り北海道へ渡った分家筋の一つだ。  妖怪や幽霊が迷信と言われるようになって久しく、陰陽師としての仕事をきちんと行っているのは本家くらいのものである。占術を使う力は代々受け継がれているものの、その使い方は忘れられかけているのだ。世に馴染み落ちぶれてしまった分家筋の中で、その力を残そうとしているのが恭介である。  思いの力というものはとても強いものであり、恭介は人と人を繋ぐ互いの思いを辿ることで大方の居場所などを占えるのだ。           ○  受け取った護符をひらひらと揺らすと、まるで芯でも通っているかのように向きを変えた。何度繰り返しても同じ方向を指し示す。 「すごい、まるで御札に引っ張られているみたい」  リラはもう一度護符を振る。すると、やはり同じ方向を示す。 「オーナーの力だよ。腕は確かなんだ。でも、オーナーの家は分家だからあまりいい目で見られていなくてね。本家からは厄介者扱いだし、霊媒師からは舐められるから」 「んー。なんだかかわいそう」 「仕方ないよ」  俊哉は護符から伸びる見えない糸を探るように軽く手を動かした。しかし、長い袂が揺れることはない。俊哉が着ているのは狩衣ではなく、ごくごくふつうのシャツにズボンというどこにでもいるような若者の服装だった。頭にも烏帽子は被っておらず、代わりにストローハットを被っている。薄い灰色のジャケットには虎のような猿のような狸のような何かを模したブローチが光っていた。  外を出歩くならばこちらの方が楽だから、と一旦アーカーシャに戻って着替えてきたのだ。恭介の前に空になったスティックシュガーが五本も置かれていてリラは目を疑ったが、すぐに着替えを終えた俊哉が出てきたので質問を投げることはできなかった。道すがら俊哉に訊ねると、あれは占術を使ったせいだという返答だった。 「分家は妖怪や悪霊からの報復を恐れて北海道へ逃げ出したようなものだから。祓い屋や霊媒師と同じように、陰陽師も危険なものからの恨みを買いやすい。何代も前の分家の当主は、それが怖くなったのさ」 「怖いのは、嫌ですよね……」  護符に引かれるまま、二人は交差点を曲がる。 「御札に引かれる通りに行けばいいんですよね」 「おばあちゃんと旦那さんの繋がりを辿っているはずだから、護符の導きに従えば辿り着くはずだよ」 「へえ」 「……地下鉄に乗ることになりそうだね」  俊哉が立ち止まったので、リラも立ち止まる。市営地下鉄の出口が目の前にあった。出口というが、入口でもある。  ICカードを確認していたリラは、はっとして俊哉を見た。 「鶫さんって地下鉄乗るんですか? というか乗れるんですか」 「俺は実体のある、いわば生きた霊だから乗り物にも乗れるんだ。すり抜けて車に置いて行かれることとかないしね」  階段を下り、改札を通る。リラはカードで改札機をタッチしたが、俊哉はそのまま改札を通ってしまった。 「見えないから無賃乗車だけれどね」 「あ、ちょっと羨ましい……」 「駄目だよそんな理由で死んだら」  ホームで待っていると、ほどなくして電車がやって来た。オレンジ色の塗装がしてある車両だ。  平日の昼間だからか、車内には空席が目立っていた。座席に腰かけたリラの正面に立ち、俊哉はつり革を握る。 「空いててよかったですね」 「混んでたら謎の空間ができるんだよ、俺に弾かれて」 「……まさに心霊現象」  誰もいないはずなのに座ることのできない座席を想像して、リラは小さく笑みをこぼした。その笑顔に、わずかに俊哉の顔が紅潮する。揺れる車内で俊哉はリラから視線を逸らさない。 「私の顔に何か付いてます?」 「いっ、いや……」  慌てて目を逸らし、俊哉は帽子を深く被る。幽霊なのに心臓が高鳴るような感覚があった。視界の端にちらちらと映るリラの水色のワンピースが俊哉を擽る。  どうしてリラの笑顔に心を揺さぶられるのか。車窓に見える暗いトンネルを見つめながら、俊哉は自分の胸に手を当てる。実際には活動していないはずの、感覚だけを残す鼓動が激しく鳴り響いていた。  護符に引かれるまま、リラと俊哉は地下鉄を降りてしばらく歩いた。俊哉の姿は他の人には見えていないため、不用意に話しかけるわけにはいかない。しかし、無言のまま並んで歩き続けるのも苦痛であった。  リラはスマートホンを手に取るとメッセージアプリを起動した。信号待ちの時間を使って文字を打ち込む。送信ボタンをタップすると、俊哉のジャケットのポケットから着信音が聞こえた。  服を着替えコーヒーを飲み地下鉄に乗るような幽霊には、機械を操作することももちろん可能である。普段からガスコンロをいじっているのだから他のものもそれなりに扱えるのだ。  恭介名義で契約をしているスマートホンを手に取り、俊哉は新着メッセージを開く。そこにはリラからの短い言葉が綴られていた。 『何かお話しませんか。これを使えば人の多いところでも会話できます』  信号が青になったので歩き出す。歩きスマホは危険というが、人の目に付かず、間違えて跳ねられても何も起こらないのだから大丈夫だ、という強引で身勝手な判断をする俊哉はそのままスマートホンの画面をタップした。 『何する? しりとり?』 「えっ」  横断歩道を渡り終えて画面を確認したリラは思わず声を上げる。まさかそんな小学生のような返答が来るとは思っていなかったのだ。いつもの貴族風の風貌からして、突然「歌を詠もう」などと言いだすのではないかと考えていたため、リラの「え」は驚きと同時に安堵も含んでいた。 『分かりました。じゃあ、コーヒーのヒから。昼寝』 『猫』 『コロッケ』 『検非違使(けびいし)』  リラは隣を見る。  検非違使といえば、都の治安を守る平安時代の警察のようなものである。何の躊躇いもなく、警察と答えるような軽い感覚で俊哉は検非違使と送って来たのだ。驚いた様子のリラを見て、俊哉は何かあったのかなといった風に小首を傾げる。  平安時代が好きであるという俊哉の趣味は服装だけに留まらないようだ。  立ち止まる度にスマートホンを手に取り、二人はしりとりを続ける。そして、決着がつく前にリラの手から護符が飛び出していってしまった。 「リラさん、追って追って! 近いんだよきっと!」 「えぇっ、つ、鶫さんは?」 「俺足遅いから先に行って!」  中学高校と陸上部だったこの足を使う時がきたか、とリラは足下に意識を集中させる。体重を移動させ、踏み切る。  ひらりひらりと飛んでいく護符は、まるで見えない糸に引っ張られているようだった。見失わないようにしつつ、ペースを保ちつつ、リラは護符を追う。大会に出ることは叶わなかったが、そこそこ速い方ではあった。真白に出会った時に飛び出すことができたのも、足に自信があったからである。  しかし、角を曲がったところで護符を見失ってしまった。周辺は閑静な住宅街である。家々を見回していると、ようやく俊哉が追いついた。苦しそうに肩で息をしている様を見て、幽霊でも息が上がることがあるのだということをリラは知った。おそらく、彼が生きた霊であることによるのだろう。 「リラ、さん……。ご、ごふっ……」 「大丈夫ですか」 「平気平気……。雅に暮らすが故の運動不足だね……。それで、護符は?」 「えーと、見失ってしまって」  呼吸を整えながら、俊哉も周囲を見回す。 「ああ、あそこだね」  俊哉が指差した先をリラも見る。一軒の家の塀に護符が貼り付いていたのだ。塀の向こう側へ行こうとしているかのように護符の端が小さく蠢いている。 「あそこが、おばあさんのお家?」 「おそらくね」  塀に歩み寄り、俊哉は護符を引き剥がす。そして、ぱたぱたと塀の向こうを指し示す護符を容赦なく破ってからジャケットの内ポケットにしまった。 「破いちゃっていいんですか」 「破かないとずっと暴れるからね。用が済んだら廃棄廃棄」  家の中にいるのはごくごく普通の人間であり、幽霊や妖怪を見る人ではない。俊哉の姿は見えないのだから、リラが一人で対応することになる。サダのこと、アーカーシャのこと、どこから伝え、どこまで話すべきか。  リラの考えが纏まる前に、俊哉はインターホンのボタンを押した。         
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