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彼の去った数日後、現実から逃れるように、私はタスラザンの魔法のペンをとった。
魔法のペンと言われてもどんな魔法が使えるのかもわからない。
そんな子供だましのペンと引き換えに私を置いていく彼に腹を立てた自分に腹が立った。
どうして私はペンについてなにも尋ねなかったのだろう。インク壺とペン、そして紙を赤い巨岩の広間に広げ、彼を想う。彼ならどんなホラ話をしてくれるだろう。
私の祖父は靴職人だった。人間の集中力なんてものは、よほど無理したところで三時間もすれば程度が落ちるものさ。祖父はよくそう言いながら靴作りの合間合間にスパイスの香りの水たばこをふかした。灼熱の地面から足を守る靴職人。もうもうと漂い甘さがねばりつくような煙のなかで、祖父は水たばこをふかし終えるとため息をついた。それが私の中で一番色濃い祖父の記憶。
しかし私の集中力というものは少なくとも祖父のそれより優秀であったらしく。昼前に握ったペンを離せば辺りは夕暮れ。慌てて岩の隙間を抜け出せば、地平線の向うまで砂の大地は茜に染まっていた。
そうしてひとつめの物語ができた。なにかやり遂げたという充足感を感じつつも、玄関をくぐる足は重い。その日一日姿を消した私を家族は責めた。何をしていた、どこへ行っていた。大きな声の叱責に、私は頑に答えなかった。そしてかわりにできたての物語を差し出した。私のかわりにこの文字達が怒られてくれればいいのに、と。
父はそれを床にたたき落とし、母は私が部屋を出たあとそれを拾った。
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