きみがいた。

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「真実がどうなのか、勇気を出して確かめに行ってご覧。君の目の前にある、とっても当たり前で、平凡で、退屈で…それでもとても貴重な、幸せな世界を。もう一度君の目で、ちゃんと見ておいで。そうしたら分かる。君はちゃんと…愛されてるってことが」  え、と思った瞬間――強い力が加わった。俺は思いきり階段を踏み外す。嘘だろう、と思った瞬間――身体は真っ逆さまに落下を始めていた。  少年に突き落とされたと気がついたのは、その直後のこと。 「お前っ…」  何しやがるんだ。怒鳴ろうとした声は中途半端に途切れた。――落ちる刹那。一瞬だけはっきりと――彼の顔が見えたからである。  言葉を、失った。忘れるはずがない、その顔は。 「それがわかったら…今度は間違えるなよ。そして当面、此処には来るんじゃない。…いいね、賢」  兄さん。  呼んだ声は中途半端に途切れて――宙へと、溶けた。  *** 『俺と勝負して勝ったら、さっきの言葉取り消して』  あの日。  俺は光を、泣かせてしまった。  自暴自棄になって、いつか全部を壊してしまいそうな自分が嫌になって――俺が兄さんの代わりに死ねば良かったのにと溢した俺に。光は本気で怒って、泣きながらそんなことを言ってきたのだ。  俺からボールを取れたら光の勝ちで、取れなかったら俺の勝ちだと。俺よりずっとサッカーがヘタクソなくせに。 『絶対。絶対だからね。じゃないと許さないからね!!』  あいつは、本当は結構泣き虫で。普段は明るくて元気がいいけど、その実安いホラー映画でもすぐ怖がるような臆病なところもあって。  だけど、こんな風に泣かれたことは初めてだったのだ。しかも、勝負をふっかけてきた光はいつもよりずっとしつこかった。いくら転んでも俺からボールを取ろうと必死になって、それで。  あらぬ方向に、すっぽぬけたそれを。彼は必死で追いかけてしまったのだ。そこは大通りで、赤信号だったというのに。 『光…っ!』  痛かったけど、俺は心底安堵したのだ。  これで良かった。兄に貰った命を、これでやっと誰かに――生きるべき大切な友達に還すことができたのだから。  そう――だから。 『賢!賢!嫌だ、こんなの嫌だ…っ!!』  薄れ行く意識の中で、最後に見た景色に――見てみぬふりをして、鍵をかけたのである。  本当はそれ以上の、真実なんてなかったのに。
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