第3章 少しずつずれる日常

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「南雲、大丈夫か?」  チームメイトの一人だった先輩が声をかけてくれた。汗を拭きながら、僕を覗いた。 「は、はい……」  少し声が震えた。左脚が鉛のように重くて、痛みが全身を駆け巡っていたのだ。  少し遅れて先生とコーチが来て、先生が左脚を少し触った。 「……これはまずいな。早く、救急車だ、救急車を呼べ!」  先生の命令で誰かが携帯電話を操作した。  しばらくして、僕は人生ではじめて救急車に乗った。  運ばれた病院で、僕は人生で初めて入院した。怪我の名前は靭帯(じんたい)損傷。しかもとてもひどいものらしかったので、手術をする必要があった。そのために入院する必要があったのだ。サッカー部はもちろん、学校まで休まなければいけなかった。  入院の日々はひどく退屈だった。来るのは母さんや父さんだけで、たまに先生も来たりしたが、基本的にベッドの上で過ごす毎日だった。手術してからはリハビリも行ったが、やはり新鮮味のない日々だった。  八月に入ってしばらく、約三週間の入院期間が終わった。帰ってからもやることがなくて、退屈の日々だった。簡単に外に出ることはできないし、家にいても自由に動けるわけではない。基本的に座っていたり横になっているだけなので、体力も落ちる。リハビリもしているが、それだけでは体力の維持は難しい。少しづれた話になったが、とにかく少しも変わらない生活だった。  ところが、あれは八月の、母さんが仕事でいなくて、一人で留守番をしていたときのことだった。ある程度、一人での行動もできるようになっていた時期だったが、まだまだ不自由なことも多かった。そんな中、頑張って母親の用意した昼食を準備しようとしていたときだった、玄関のチャイムが鳴ったのは。チャイムが鳴ってもそれに応えるまでに時間がかかるから、大きな声で、はい、と返事をした。松葉杖を持ち、それを器用に用いて玄関まで行く。扉は手が空いていないといけないので、近くに松葉杖を置いて、扉のノブに―― 「よっ、南雲!」  こっちが開ける前に扉が開いた。すると現れたのは、運動着を着た真雪だった。 「か、河北くん」  当時は互いに苗字呼びをしていた。部活くらいしか接点がなかったからである。 「どうしたの? なんか連絡があるの?」 「いや、お見舞い。ほら、お花持って来てやったぞ」  真雪は柄にもなく小さな花束を持っていた。
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