バウキス・ピレモン

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死した母の側に立つ翼に向けて、セイレーンは確かに告げた。その声と今の声が重なる。 「翼、約束ね」 「うん、約束する。御礼はちゃんと自分で言う。それと僕は最後まで生き抜くから」 右半面の表情が美しい笑顔を見せ、それきりセイレーンは動かなくなった。 「死んだの? セイレーン」 機械に向けて死んだとは妙な言葉だが、自然と零れた言葉に疑問はなく。それよりも片足を掴まれた感触に驚き翼はそちらを見た。 「死ねよ、……貴様こそ死ねよ」 虚ろに成り行く男の瞳と視線が合う。確実に死ぬと分かる怪我。赤く染まって行く雪。 人との関わりが希薄な中で、翼は誰かに連絡する手立てを持たないでいる。 互いに助けを求める考えを持たないまま、最後まで憎悪を剥き出しにして男は事切れた。 男の気持ちは分かる。憎いだろう。あれ程に心を切り裂く言葉をぶつけたのだから。 「ごめん、僕は生きるよ」 呟き、立ち上がる翼は銃声のした方向へゆっくりと身を向けた。 付けて来る足音は複数あったのだから、失念した自分が愚かなのだろうと。 当然の様に、暗がりには人影が立つ。 「子供か。見逃してやる」
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