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「廣瀬緑さん」
少し緊張に震えた声は、『はい』と穏やかに応じられた事で直ぐに普段の調子を取り戻す。
「今まで美味しい御飯と、快適な部屋の提供をありがとうございます。僕、今夜の内にここを出て行きます」
決心を滲ます声に対し、緑は余り相応しくないと感じられる柔和な表情のまま翼が帰って来るまでに遭遇した悶着を指摘する。
「ドローンからの映像提供を受けています」
穏やかな声は翼が彼女の名前を告げた点には触れず、続いてほんの僅かトーンを落として翼が何をしたいのかまで分かっているのだと切り込む。
「あの不審者を追うつもりなのね」
機械の連携は人の生活の細部にまで及んでいるから、その事に関しての不満を今さら持つ気はない。けれど余りにも素早い情報のやり取りと対応の細やかさには時折、心が理不尽な揺らぎを覚える。したばかりの決心さえ解いてしまいそうな細やかさに。
「約束をしたからです。僕は、命の有る限り精一杯に生きたい」
「だからと言って、危険な行為に及ぶ必要はないわ。それは私達機械に任せては貰えないの」
一瞬、翼の瞳は大きく見開かれた。
衝撃を含む筈の言葉が、当然の様に淀みなく告げられたから。
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