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一帯を包み込む劫火は渦を巻いて夜空を焼き、あたりは日中のように明るかった。
燃えているのは家屋、畑、畜生、そして人。うだるように熱い初秋の夜の領内は炉の中のように滾っていた。
煩いほどだった虫の音、蛙の声は、ところどころで上がる勝鬨、苦痛と恐怖に泣き叫ぶ声にかき消されている。――それとも地を舐める劫火に虫どもはすべて焼け死んでしまったのか。
皮膚を焼くほどの灼熱にもかかわらず、亜耳利の身体の芯は冷え切っていた。
亜耳利は目の前の男の、若杉のように凛々しい立ち姿をじっと見つめていた。男の衣は重たげなほどに敵の血を吸い、美しく結い上げられていた美豆良はざんばらに解けて熱風にたなびいている。男は、亜耳利の主――日高見国の王、那束であった。
「…那束さま。なぜ前線に出たのです。御身に何かにありましたら――」
強くいさめるつもりだったのに、発せられた自分の声があまりに力無いことに亜耳利は愕然とした。
(衝撃が、あとを引いているんだ)
じっと高殿を見上げていた那束は、亜耳利に涼しげな目を向け、かすかに笑った。
「そうだな。亜耳利の教えに従うべきだった。――だが、将軍である俺が前に出れば、士気が上がるかと思ったんだ」
血しぶきを全身に浴びたその姿で穏やかに微笑んでみせた見せた王に、亜耳利は息を飲んだ。
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