4/9
前へ
/56ページ
次へ
 日の落ちる時間が多少遅くなったとはいえ、もう辺りは薄暗くなっている。急いで自転車にまたがり、ペダルを勢いよく踏んだ。  会社からの交通費の支給はないが、職場の皆の多くは電車か車通勤であった。自分の場合は自転車通勤だ。電車であれば家から会社まで30分程度で済む距離を自転車で1時間以上かけて通勤した。全ては節約の為――雨の日も嵐の日でも自転車用のレインコートを着て通勤した。  この自転車は近所の小さなサイクルショップの店先でセール品として1万円で売られていたものを最初の給料で買ったものだったが、かなりガタが来ており漕ぐ度にギーギーと軋んだ音を盛大に上げていた。こまめにチェーンの汚れを取ったり油をさしたりしなければならないこの自転車は手間がかかったが、私にとっては5年間を共に過ごしてきた戦友のようなものであった。  休むことなく漕ぎ続けていると汗が吹き出してくる。まだ寒さが残る季節とはいえ、既に背中には汗が滴っている。汗で顔に貼りついた前髪をかき上げてひたすら漕ぎ続けた。交通量の少ない道路は赤信号も無視した。二十歳の若さとはいえ、一日中立ち仕事をした後での一時間の自転車通勤はさすがに堪えた。下半身の筋肉が悲鳴を上げている。  家の近くまでくると馴染みの酒屋の前に急いで自転車をとめて店に滑り込んだ。  ごま塩頭で小太りの店主が小さく舌打ちをしながら降ろしかけたシャッターから手を離した。この小さな店は一応19時までの営業であったが、やる気の無い店主がそれよりも前に店を閉めることがよくあった。  狭い店内を一直線に歩き、急いでビールの6缶パックを手に取り、レジに持っていき会計をした。終始無言の店主からビールを受け取り店を出ると、途端に後ろでシャッターを降ろす音が鳴り響いた。  6缶パックを籠に入れて、今度はゆっくり自転車を漕いだ。振動でビールを刺激しない為だ。慎重に運転しながら家に着くと、音を立てないように静かに門扉を開けて中に自転車を入れた。郊外住宅地の一戸建て――幼い時にここに越してきた時は喜びと希望に満ち溢れた場所だったが、今の私にとっては悪夢を象徴する場所でしかなかった。
/56ページ

最初のコメントを投稿しよう!

9人が本棚に入れています
本棚に追加