終章:たとえ玉座を降りたとしても

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それと、私はここまで来るのに色んな人に助けられた。 お医者さんはもちろん、一緒にトイレを探してくれた友達、心配してくれた先輩、遠征の時は私を気遣ってトイレつきの夜行バスにしてくれた後輩。 私のお手洗いで何度迷惑を、足を止めてしまったか分からないのに、皆笑って、私の頻尿を受け入れてくれた。 それは何と嬉しくて、幸せな事だろうか。 TQというのは、周りの温かで笑い飛ばしてくれるような理解がなければ成り立たないのだ。病気を通して、それを実感した。 だから、頻尿には感謝している。嫌だけど。もう二度となりたくないけど。嫌な思い出もたくさんあったし、たとえ頻尿が治ったとして、「トイレクイーン」の玉座から降りたとしても。 それでも……どれだけ重要な事かという事だけは。死ぬまで忘れる事は無いだろう。 健康は何より大事である。 私は頻尿にさんざん苦しめられて、入院で早く出たいと思うほどの退屈な時間を過ごし、それを体で痛感した。 最近変だな、おかしいなと思った時が、大事な機会。それを信じて、病院へ行って損はない。 膀胱というのは、一番気づきやすい方法で、いつも私達に体の事を知らせてくれる、不器用でも正直な奴なのだから。
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