終章:たとえ玉座を降りたとしても

2/4
前へ
/25ページ
次へ
あれからの私は、健康体である。 少なくとも、一時間でお手洗いへ! という事は滅多になくなったし、調子のいい時や仕事など何かに夢中な時は、数時間たっても大丈夫である。 頻尿とがむしゃらに闘っていたあの時が、今では懐かしいぐらいである。  ……こうして10年以上の時が流れたが。あの女王であった時間は、私にとって一体何だったのだろう。ただの、私を苦しめる悪魔か、それとも試練を乗り越えさせんという神の悪戯だったのか……。  結論から言えば、内なる自分からの啓示では、なかっただろうか。あの闘いは、とても大事な、貴重な経験だったように思う。  頻尿、と言えば恥ずかしいだろうが、よくよく考えてみると体の「中」の物を出す器官が膀胱であり、それが正しく動いている証こそが正しい排泄、すなわち、お手洗いなのである。 それが普通じゃないということは。つまり体内のどこかが異常なのであって、あるいは既に病気なのであって、それは今にして思えば、手遅れになる前の大事な大事なサインだったのだ。 先の章で、私は「これは体質のせいであって、自分のせいではない」と説明していたが、それは一字一句、そうなのである。 現に私の頻尿も、結局その正体は「皮様嚢腫」という「病気」であった。 もし病院へ行かなければ発覚せず、腫瘍はそのまま大きくなり続けていたのだと言う。自覚症状のない良性だからこそ尚更、単なる頻尿と勘違いしていた。 もしこれが放置となっていたならば肥大化した腫瘍はやがて捻点を起こし、器官の壊死を招いていたかもしれない。 私の場合は出来ていた場所が場所だっただけに、取り返しのつかない事態も容易に想像できた。 私を救ってくれたのは他でもない、長年悩ませていた頻尿こそが、体のメッセンジャーだったのである。
/25ページ

最初のコメントを投稿しよう!

27人が本棚に入れています
本棚に追加