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あの日、終業時刻間近───
私はやりかけの仕事を終らせようと必死に
なっていたために、周りの空気が、正確には
女性社員達が急に騒がしくなったことに、
気づいていなかった。
だって必死にもなるでしょ。
彼氏とのデートは久しぶりなんだもの。
だから、意地でも終らせないと。
「高橋さん、ちょっと良いか?」
「なあに?りゅ、じゃない、御手洗さん」
おっと、危ない、危ない。油断してた。
偶然にも本人のことを考えていたせいで、
いつものように『隆司』と呼んでしまう
ところだった。
今更ながら気づいたけれど、周囲の騒がしさは
この男のせいだったのか。
「で、何の用?」
弛みそうになった口元を引き締め、隣に立った
長身の男を見上げると、目の端には恨めしげな
顔をして、こちらを窺う女性達が見えた。
「ああ、文香に頼みが……」
「あ!ちょっと待った。この文書、
保存するから」
大声で彼の言葉を遮り、さも慌てたように
パソコンを弄る。
そうしてからキッと彼の顔を睨み付けた。
『社内で名前呼びをするな』という
警告を込めて。
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