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 二日後の昼過ぎ、おせんが井戸端で洗濯をしていると裏長屋に身なりのいい三十半ばほどの御店者がやってきた。 「おせんさんだね」  その男はおせんを見つけると言った。なぜ自分の名を知っているのだろうとおせんが訝りながら頷くと、男はせかすように続けた。 「うちの人はいるかい」  松吉は真昼間から、また酒を飲みに出かけていた。家に案内すると男はお美代に丁寧に挨拶し、日本橋の道具屋、河内屋の三番番頭佐吉と名乗った。河内屋と言えば名の知れた大店である。  挨拶を終えた佐吉は、お美代に向かって突然思いもよらぬことを話し出した。 「当家の若旦那様は今年三十二にもなるのに学問や芸能にばかり夢中で、大旦那様がどれだけ縁談を持ちこもうが、今まで首を縦に振りませんでした。ところが、そんな若旦那様が一昨日、富岡八幡で参拝された帰りのことです」  佐吉はもったいをつけるように、一度言葉を切った。 「行きは深川の渡しを船で渡ったのですが、帰りは少しばかり旅の気分を味わおうと仰せられ、千住の宿に向かう途中でこの辺りを通ったときのこと、路傍で舞をしていた娘に目を止められました」 「舞……」  おせんは事の成り行きが見えず、ただ呟く。 「当家の若旦那様がおせんさんを御見初めになられたのですよ」 「え」  お美代はそう言ったきり二の句が継げなくなってしまった。
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