第1章

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 職場からそのまま来たので、夕飯も食べていない。身体は冷え切っていて、出汁の匂いに思わず腹が鳴りそうになる。 「おでん、食べます?」  ・  男は下田代勇夫、と名乗った。  名前とあまり合わない印象の、ちょっとちゃらそうな男だった。髪はごく短く、こざっぱりとしている。よく見ると少し茶色く染めているようだった。 「いや、すみません、あんなとこで……」 「いやうちこそ散らかってんすけど」  だがそう言う彼の部屋は、鞠子の部屋よりもよほど片付いていた。 俺はさっき借りたひざ掛けを畳んで部屋の隅に置く。 「これ、ありがとう」 「ああ……その色、似合いますね」 「え? ああ……どうも」  そこらのホームセンターで買ってきたような安っぽい家具ばかりだが、大学生らしい部屋だった。見慣れない分厚い教科書が積んであるのも新鮮だった。 「理系?」 「工学部です」  この近くには大きな大学がある。きっとそこの生徒なのだろう。 「普段研究室詰めてばっかしだから、たまに家帰ると料理したくなるんすよね」  部屋に上がったのは、単純に暖かそうだったから。それから食べ物にも惹かれた。  しかし他にも理由はあった。ここなら、おそらく鞠子が帰ってきたら音ですぐにわかるはずだった。  暖かい場所で食事をしながら鞠子を待つ。悪くない。  下田代は、いいと言ったのに缶ビールも出してきた。 「いや、このおでんだけで十分だから」 「でも、おでんといえばビールじゃないすか?」  そう言われて手が迷う。部屋の中は暖かく、おでんはおいしかった。  なんと、下田代が自分で作ったものだという。これも鞠子よりよほどうまい。鞠子が一度作ってくれた肉じゃかは、焦げて黒い汁にまみれていた。  酒を飲むのは久しぶりだった。  普段は飲み会でも、あまり飲みすぎないように気をつけている。ビール一本で顔が赤くなる体質なことは知っているし、そもそも強くない。 「……だから、俺は何をしてるんだろって、思わなくもなくて」 「そうっすねー」  気がつくと、俺はぺらぺらと自分の苦悩を話し始めていた。  鞠子とは、俺が元いた職場で知り合った。今は異動しているが、その頃の同僚は俺と彼女の付き合いをみんな知っている。  理想のカップルだとか、結婚は秒読みだろうとか、そんなことばかり言われた。  愚痴は言いづらかった。
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