第1章

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 だが、むしろ彼女をつけるべきなのかもしれない。  そう思いかけてきた頃だった。  今日はちゃんと上着を着て、マフラーもしてきたけれどやはりアパートの廊下にいるのは寒い。  俺の頭の中では、もう何度も俺はその浮気相手と対決している。  手をつないでこの部屋に戻ってきた鞠子が唖然とした顔をするのだ。  ”俊輝くん……どうして”  がさりと落ちるビニール袋。つないだ手を慌てて離す二人。  空想の中の浮気相手の顔は、真っ黒なまま形を結ばない。  はっきりとした証拠はどこにもなかった。  ただ、半年くらい前から鞠子とは徐々に連絡が取りにくくなっていた。  今までべったりだったのに、急によそよそしくなった。  将来の話もあまりしなくなった。  寒さのあまり、俺は思わずくしゃみをする。  どれだけ防寒をすればいいのだろう。  今日は鞠子には連絡をしていなかった。してもきっと、未読のまま放置されるだろうと思ったからだ。ここまで来たなら、いっそ別れ話をしてしまったほうが早いのはわかっている。  鞠子が何をしているのだとしても。  でも、彼女が浮気をしているのだと確かめられないと、納得できない気がした。  どれだけバカバカしくても。 「……あれ、お隣の彼氏さん」  廊下を歩いて部屋に帰ってきたのは、鞠子ではなかった。  そういえば今日は隣の部屋も電気がついていなかった気がする。 「どうも」  この間おでんをごちそうになった下田代だ。  俺は何となく気まずかった。  彼女に執着する恋人――これはまさに、ストーカーそのものじゃないのか。通報されても、言い逃れできない気がする。  彼はビニール袋を手に持っていた。買い物に行っていたらしい。  彼はそのビニール袋を見せて言った。 「今日、うち鍋なんすけど、寄ってきます?」  ・  おかしい。  俺は、鞠子の浮気の証拠を掴むために来ているはずだ。  なのになぜ、大学生の部屋でのんびりくつろいでいるのか。  鞠子はやっぱり、終電直前になっても帰ってこなかった。  そういう日が、二度三度と続いた。  最初の頃こそ、俺は鞠子の部屋の前に座り込み、彼に呼ばれるのを待っていた。  だがじきに、直接彼と連絡を取り、彼の家にまず行くようになっていた。  その方が凍えないで済むし、鞠子が帰ってきたなら音でわかる。
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