私たちの日常

2/12
前へ
/12ページ
次へ
 異なる文化に属する人たちは、違う言語をしゃべるだけではなく、おそらくもっと重要なことには、違う感覚世界に住んでいる。感覚情報を選択的にふるいわける結果、あることは受け入れられ、それ以外のことは濾し捨てられる。そのため、ある文化の方の感覚的スクリーンを通して受け取られた体験は、ほかの文化の方のスクリーンを通して受け取られた体験とは全く違うのである。―エドワード・ホール『かくれた次元』より  例えば足の不自由な人が階段を登れないと言ったら、「車いすでない人だって、しんどい思いをして登ってるんだ。わがまま言うな」と突き放されることがあるだろうか。円が小学生の時、だんだん全身の筋肉が衰えていく病気の子がいた。先生が彼を車椅子ごと担いで階段を登っているのを見ても、誰も文句は言わなかった。彼は、『見える障害』だから。  でも円は生まれて17年、自分の障害について、「ただの我儘だ」と言われ続けてきた。先生からも、同級生からも、母親からも。『見えない障害』だから…。 「皆はもっと頑張ってるし、運動会の練習なんて数百人の生
/12ページ

最初のコメントを投稿しよう!

1人が本棚に入れています
本棚に追加