六夜 鵲の橋

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六夜 鵲の橋

 ユニオン・スクエアから北へ三ブロック、ブッシュ通りとグラント通りが交差する場所に、中国建築特有の、楼門、がある。その門からグラント通りを北へ八ブロック、コロンバス通りに突き当たるまでの一帯が、世界中に存在するチャイナ・タウンの中でも、西側最大規模を誇る、サンフランシスコのチャイナ・タウンである。  土産物屋や、夥しい数のレストラン、学校や公共施設、銀行……と、華僑たちだけで社会生活を営める全てが、その一帯に揃っているのだ。  そのチャイナ・タウンの一角に聳える、細長いビルの一室――。 「またか」  七人の中でも、最も高齢と思える老人が、言った。  幾分苦々しい響きと、諦めのような溜め息が、混じっている。  部屋にいる七人のいずれもが老人であったが、誰一人として死期を迎えようとする弱々しい者は、いなかった。  その老人たちに、『また』の知らせをもって来たのは、三十代半ばの若い男である。  精悍な面貌と分厚い胸板は、意図的に鍛えられた肉体の屈強さを、裏付けている。  彼の一撃で、その老人たちなど、あっと言う間に、彼(あ)の世へ行ってしまうことだろう。  だが、その男は、老人たちの前に、畏まっていた。 「大哥(ターゴー)(大兄)」  一番年長の老人に、そう声をかけ、 「このままでは、犠牲者が増えるばかりです。黄帝様にお願いする訳にはいかないのでしょうか……」  と、最後の手段のような言葉を、持ち出した。 「伝説の御方か……」  老人たちの誰もが、難しい顔で、腕を組む。  彼らにも判っているのだ。もうそれしか手段はないのだ、と。  それでも、今までその手段を口にせず、ためらって来たのは、その伝説の帝王が、今回の事件以上に恐ろしく、非情な人物である、と伝わっていたからに外ならない。  もちろん、黄帝、というその名は、漢民族の祖といわれる古代伝説中の帝王の名であり、本来なら神と崇めて畏怖するべき人物なのだが――いや、もちろん、ここにいる誰もが、その伝説の帝王を神と崇め、畏怖している。  それでも、神とは常に、非情で恐ろしい存在なのだ。 「いや……。もう少し待とう」  老人の中の一人が言った。見事に禿げ上がった頭を持つ、老人である。そのクセ、髭だけは長く伸ばしているものだから、仙人のような印象を与える。 「ですが、それでは――」 「黄帝様は、もう何千年も前に人の子の前から姿を隠された、と聞く。今更人の子の前に、その御姿を見せてはくださるまい」  男の言葉を遮るように、老人は言った。――いや、老師、と呼ぼうか。  さっきも言ったように、七人の誰もが、老人、という呼び方の中に見える弱々しさを、備えてはいないのだ。 「……我々は人の子でも、向こうは人の子ではないかも知れません」 「ふむ」  小柄な老師が、皺深い手で、顎を支えた。 「どうか、お考えくださいませ、大哥、そして、哥哥(ゴーゴー)(兄)方。遥か昔、我が一族の遠き祖先たる偉大なる呪術師、樹誠(シューチョン)様は、海から立ち昇る火が天空を貫いた時、黄帝様に救われた、と伝えられております。今一度、黄帝様の御力を貸していただけるよう……」  男は最早懇願にも似た面持ちで、頭を下げた。 「小鋭(シャオルイ)よ。そなたの養子(やしないご)まで消えて、焦る気持ちは解るが――」 「お願いします、大哥、哥哥方」  男――小鋭と呼ばれた男は、頑なに頭を下げ続けた。 「ふむ……」  老師たちの視線が、沈黙に帰する。  再び口を開くまでに、数分かかったであろうか。  小鋭には、途方もなく長い時間であった。 「よかろう。――むろん、我らの妖術が、まだ黄帝様に届くほどの力を備えていれば、ということが大前提だが」
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