六夜 鵲の橋

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「おかしいな」  デューイが言った。  玄関の呼び鈴を鳴らしての言葉、である。実は、タクシーを降りた時にも、同じ言葉を呟いたのだが、それは、街を見下ろす舜の言葉に、掻き消されてしまっていたのだ。その時は、門についているインターホンを押しても、何の応答もなかったための、呟きであった。  そして、今は、玄関の呼び鈴――。  中からの応答は、一切、ない。  仕方がないので、デューイは、自分の鍵を使って、ドアを開いた。  明かりは、煌々と、灯っている。  それでも、異様に静かであった。  考えられることは、といえば、久しぶりのデューイの帰国に、家族がデューイを驚かせよう、と奥の部屋で息をひそめている、ということである。  しかし、それなら、明かりが消えているのが普通で、明かりが点いた途端、目の前にはでっかいケーキがあって、クラッカーの弾ける音がする、というのが基本である。  それに――。 「人がいるとは思えないな」  舜が言った。  そう――。家の中に、人の気配は、全くない、のだ。  舜の『一族』は――つまり、デューイの仲間入りした『一族』は、普通の人間より、ずっと優れた能力を持ち、視覚、聴覚、嗅覚、味覚、触覚……その五感はもちろん、第六感にも優れている。  人がいれば、その気配はすぐに判るはずなのだ。  しかし、今は、それが、ない。危険がある、とは感じられないが、それでも、奇妙なことは、確かであった。  二人は取り敢えず、右手にある豪華なリビングへと足を向けた。いつもなら、一家団欒の場所となっている一室である。 「今日着く、って、ちゃんと手紙に書いといたんだろ?」  誰もいない部屋を見渡して、舜は訊いた。  広い部屋には、猫の仔一匹、いはしない。 「ああ……」  デューイは不安そうである。  わざわざ屋敷中を探し歩かなくても、人がいないことは判っているのだ。家族はもちろん、使用人の一人さえ。  革張りの豪華なソファの横を回ると、血塗れの死体が――あることもなく、ただ静けさだけが、蔓延(はびこ)っている。 「あ、何かあるぜ」  ソファの前のテーブルに置かれた一枚の白い紙を見て、舜は言った。  何か、文字が書いてある。 「んー、こりゃ、遺書だな。ほら、一家心中の」  そんな心ない舜の言葉に、デューイはもう真っ蒼になっている。 『夜の一族』の仲間入りをしたのだから、舜と同じに、もともと顔色は悪いのだが。  急いでその白い紙を拾い上げ、インクの文字を、追い始める。 《愛しい息子、デューイへ》  便箋は、その文句から、始まっていた。  やはり、今日着く、という手紙は、ちゃんと家族の元に届いていたのだ。それでいて、家族の姿は、どこにも、ない。  デューイは、先を読むのが怖いような思いで――それでも、舜に読んでもらうと、もっと怖いことを言われそうなので、意を決するように、自分でその先を読み始めた。 《愛しい息子、デューイへ》  いや、ここはもう読んだ。 《パパも、ママも、おばあちゃまも、ジョイも、シルヴィアも、今、フィンランドにいます》 「フィンランド……?」  デューイは、その文面を読んで、困惑した。  まさか、フィンランドで一家心中、ということもないだろうが。 《ごめんなさいね》  いきなり、謝られると、ドキ、っとする。 《あなたからの手紙は届いたのだけれど、連絡先も何も書いてなかったから、あなたに知らせることが出来なかったの》  まあ、そう言われると、デューイも、言いようがない。  しかし、あの山奥の住所など、手紙に書けるはずもないではないか。  人里慣れた秘境の地で、辺りには、数十の奇峰が不気味に聳え、神秘的な雲海の中に埋もれる奇峰の最高峰に――人も通わぬ辺境の地に、隠れるようにして暮らしているのだから。  そもそも、あんなところに住所があるのかどうか。それすらも、定かでは、ない。もし住所があったとしても、それを手紙に書いて届くかどうか――普通の人間が出入り出来るような場所ではないのだ。電話などもちろんなく、毎月出している手紙も、月に一度、黄帝が街まで行ったついでに、出して来てくれているものである。  手紙はまだ、続いていた。
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