Karte.1 自己愛の可不可-水鏡

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 患者である息子すら連れて来ない母親に呆れていたこともあるし、今までの話を聞いている限り、どう見ても、彼女が心配しているのは自分の家庭の世間体のようにしか思えない。 「こんなことをお話しするのは、本当に情けなくて恥ずかしいのですが……」  まだ言い訳がましく言っている。  忙しなく動かす指にも気付いていない。  もちろん、春名も急かしたりはしないし、口を挟むつもりもない。もともとがのんびりとした性格なのだ。――いや、仁に言わせると、多少だらしがないところもあるらしいが。  春名が何も言わずに待っていると、やっと決心を固めたように、沢向夫人が口を開いた。 「アメリカでは十人に一人とか、五人に一人とか言いますでしょう? あの――。同性愛者のことですけど……」  と、遠回しに話を始める。 「そういう話は聞きますね」  ここでも相槌だけである。 「以前、目にした統計では、一卵性双生児の一〇〇パーセントが同性愛者だとか……」 「そんなことはありませんよ。確かに以前、そういう調査発表はありましたが、あれは調査対象が偏り過ぎていたし、調査項目についても充分ではなかった。――それを気にしてここへ? それとも、息子さんに具体的な同性愛傾向でも?」  間違った認識は、正しておかなくてはならない。加えて、話が要点に向かうように誘導もしなくてはならない。     
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