その先を書いてはいけない・・・

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  2  食事が終わったら、支度をして出発するつもりだった。  だが、食後、休憩のつもりで横になったらそのまま寝てしまったらしい。  そのあいだに室温がぐんぐん上がって、暑さと汗で目が覚めた。    そこは木々に囲まれた森の中だった。  驟雨のあとのように梢はしっとりと濡れて、銀色の水玉をぽとぽと滑らせている。ほんのりと湿った土の匂いが漂った。  空は淡い茜色、ちぎれ雲がオレンジと黄色に染まっていた。  風にゆれる枝がさわさわと鳴った。  どこからかヒグラシセミの淋しい声が響いてくる。  さわやかな夕風が頬を撫ぜた。  夢にしては、五感が温度や風、匂い、音を拾いすぎる。  その風景に既視感があった。  おれは心の中で叫んだ。  子供の頃、友だちといっしょに遊んだ雑木林だ!    ぽちょん。  梢の雫がおれの背中に落ちた。  冷たい。夢なのか。夢だな。夢に違いない。  覚醒しきれていない自分が、まだ、まどろみを彷徨っているのだと思った。  おれは起き上がり、全てを払拭しようとした。  テーブルの水は温くなっているだろうが咽喉を潤そう。  手を伸ばし・・・?  手を伸ばし・・・ん?    おれは愕然とした。手が動かない。  あせって体を動かすと、頭上の枝葉がわさわさと揺れ、雫がたくさん落ちてきた。  そしてもう一つの事実に気がついた。  足も動かない。  きっと寝たきり状態になり、全身が麻痺したのだ。  どうしてこんな事に?  家人を呼ぼう。  助けを求めるんだ!   (おーい! 誰か!)    妻と息子を呼んだが、声が出なかった。    ただ眼球だけはするすると動かすことができた。  ここは森の中だ。森の中なら家族がいないのもわかる・・・いや、そんなことで納得してる場合じゃない。  目線だけで森の奥を追った。  薄紫色のとばりが煙のように忍び寄っていた。  森が暮れるのは早い。真夏の残照は市街地では明るく長いが、森の奥は短時間で薄闇に包まれる。  おれの体に、コナラのずんぐりした葉っぱが風にあおられてぶつかった。  ヒグラシセミの啼き声も聞こえなくなった。  枝葉のこすれる音だけである。  おれはどうすることもできず、茫然としていた。    人の気配がした。雑木林の叢をかき分けて、のそりのそりと歩いてくる男がいた。野良着をまとい、肩に大型のスコップを担いでいる。
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