△1六角

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「ところで、ひとつ気になったのだが」  東京体育館を左手に臨みながら、老人が横目で僕を振り返りながらそう切り出した。何だ? 改まって。 「……先ほど叫んでいた『ヴェルメリオ・リーオー』だとかいう名称、あれは一体?」  その質問は、待っていたところだ。即興で考えたにしては、なかなかのものだと自賛してたのだ。僕は意気込んで説明を始める。 「……『ヴェルメリオ』はポルトガル語で『赤』を意味します。いい響きですよね? そして『リーオー』は少しひねって『獅子座』の英訳。どうです? 二言語のハイブリッドに、『リオ』と『リーオー』もかかって完璧な名前だと思いま」  僕の流れるようなプレゼンもそこまでだった。老人がいきなり僕の胸倉をつかみ上げたからだ。ええ?  思わぬ事と、思いがけないその腕力に、僕の決して軽くはない体が爪先立ちになってしまう。いきなり空気が変わったかのような、そんな感覚。 「……いいか、名前は『レッド獅子』だ。それには従ってもらう」  皺に覆われた顔が、憤怒で向こうの奥行側に引き絞られているかのようだ。唐突なその激昂にうろたえて何も言い返せなくなってしまう僕。一見、温和そうな老人がキレる様を見させられると、何というか根源的な恐怖を感じる。でもここは譲れないっ。 「し、しかし、『ヴェルメリオ・リーオー』の方が、ヒーローらしいですし、その、『獅子レッド』ですか? 何というか華やかさに欠」 「『レッド獅子』だ。『レ・ッ・ド・獅・子』。二度は無いから金輪際間違えるな。さあ復唱するんだ、『レッド獅子』」  僕のささやかな反抗もそこまでだった。わけの分からない老人のこだわりを、その凄まじいばかりの迫力に圧され、否応も無く飲み込むしかなかったわけで。  三回ほど、私の名前はレッド獅子です、と唱和させられてから、やっと首元が開放されたけど、さっきまで感じていたささやかな高揚感はこれで全て霧散した。    僕は隙を見て逃げ出そうか、くらい考えるまで至っている。
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