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渡すお金がない。そうなれば飛田を救えない。でもわたしは、正しいことをしている。
今日渡さなかったら飛田はどうなるだろう。わたしが手を差し伸べなければ、食べるものがなく飢えて死んでしまうかもしれない。
わたしは、正しいことをしているのに。
「ちょっと出掛けてくる」
夕飯の支度をしている母へ告げた後、わたしは家を出た。
お金がないのなら、食べ物を用意すればいい。夕飯をくすねて持っていくことも考えたが、母に気づかれてしまう危険性がありできない。だからわたしはスーパーへ向かった。
菓子パンコーナーの前でじっくりと考える。どれを渡せば飛田は喜ぶだろう。
吟味した結果、選んだのはシンプルなコッペパンだった。それをかばんに押しこむ。
これは万引き。『優等生』とは呼べなくなってしまう行為だ。
『優等生』を捨てる勇気はないと思っていたのに、『特別』に触れたことですっかり変わっていた。
パンを詰め込んだかばんは、人参を吐いて捨てるのと同じ軽さをしている。
こわくはない。むしろ誇らしい。飛田を救うのだから。
飛田は喜ぶだろう。渡す瞬間のことを考えると体が震える。これを渡す時、あの心地よさを味わえるのだ。
『特別』に酔っていたわたしは気づいていなかったのだ。
スーパーを出ようとしたところで引き止めるように肩を叩くもの。その温度は、ぬるくて、ぬるくて、現実に引き戻す。
「ちょっと、いいかな」
聞こえたのも、ぬるい声だった。
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