愛の花が咲く街

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愛の花が咲く街

 この街では何でも、数ヶ月に一度、日頃の感謝を込めて花を贈るんだってさ。だから、この街では絶えず花が沢山咲いているだろう? それとこの街では親愛の意を込める時もあるらしくてね、この時期には一気にカップルが増えるらしいよ。そんな経緯からこの街は『愛の花が咲く街』とも言われているんだ。  そして今がその時期なのだという。様々な花が咲き誇り、手折られる時期。  笑顔が苦手な私は、だからか、暗い方に考えるのが得意だ。  人の情が為に手折られ、象徴化される花々は、否定された時、惨めに棄てられ、踏まれて消えていくのだろうかと。そんな益体もないことを考えてしまう。  周りの人々は皆笑顔だ。  顔には笑みを咲かせ、片手は愛しい人の手。  互いの空いた手には美しい花が一輪、祝福するように花弁を開いていた。  まるで、二人の愛の開花を表現するかのようだった。  そうだ。折角だから僕たちも花を贈りあってみないかい? 日頃の感謝ってことで。ああ、勿論、僕への愛を贈ってもらってもーーいたっ、痛い! ごめんごめん、冗談、冗談だって! だから脚の脛を蹴るのは止めーーいてっ!?  花を贈るのは賛成だ。  長い旅路の中、私は彼にまったくという程に感謝を述べたこともない。述べる為の口がないし、私は無愛想だから。  けれど、狭い檻の鍵を開けてくれて、今までもこうして連れ添ってくれている彼には何時か感謝を述べたいと思っていた。  そう思っている時に限って彼のこの態度だ。軽いというか、軽薄と言うべきか。  こんな態度でいられたら真面目に感謝なんてする気にならないし、愛なんて贈る価値も感じなくなってしまう。  脛をさすって痛がりつつも、やはり彼の笑顔は崩れない。彼に感情はあれど表情はないのではないか。そんな恐れがある。そんなことはないと記憶を辿っても、感情が波打つ記憶ばかり、何故か彼の表情が思い出せない。  さ、じゃあ、あの店なんてどうかな? え、どこでもいい? それは夢がないなぁ。君だって女の子なんだから買い物とか……。よし、それじゃあ、良さそうな店を探しながら街でも観光しようか。  私は計画性というものを知らない。したことがない、というよりも小さな鳥籠にいた頃はそんな必要はなかった。毎日が決められた時間、決められた行動。生きているのかどうかも疑うような起伏のない日々。  退屈と恒久の日々。  不幸ではないが、幸福ではない日々。  不幸ではないにしても、それは、とても辛かった。  あ、そうだ。このだけの人混みだとはぐれた時大変だね。じゃ、手を繋ごっか。  だから、人生を起伏を大きくしてくれた彼には感謝しかない。  けれど、彼の手に触れた時、掴まれた時。トンと心臓が跳ね上がるようなこの気持ちは一体何なのだというのか。  嫌悪している訳では無い。寧ろ、心地良いとさえ思うこの高鳴りは。  良さそうな花屋を探す片手間に彼は実に様々なことを教えてくれた。それは嘗て、とある作曲家が旋律を閃いた時に感動のあまり奇声を発したところだとか、この石像はその昔、暴風雨によって削られた自然の彫刻なのだとか。  一体どこからそんな情報を仕入れているのかと考えていると、それを察してか彼が答えてくれた。何でも私が眠っていた間に御者の人から聞いていたらしい。律儀なことだ。  他にも彼は風船を配る人に、屋台で香ばしい匂いを漂わせる店主に、小さな子供から老齢の夫婦まで、様々な人から話を聞き出していた。  この社交性もまた、彼の魅力なのだろう。  誰とでも分け隔てなく、笑顔を以て話をする。  その話は無論隣で聞いていた私にも有益であり、楽しいものだった。  彼らが何かを語る度に知らない世界が広がっていった。世界に密度が高くなっていった。  祭囃子の浮ついた空気を感じる度にどこか、現実ではないような酩酊感を感じた。  鳥籠の中で夢を見ているような、そんな気分になるのだ。  やがて、行き着いたのは街の端にある小さな店。  ここでは街の浮ついた喧騒はなく、やや静謐としていた。  ちょっとした疎外感。祭りを遠くから見ているような静けさ。  そんな中でも、この店の花々は何よりも美しく咲いているように思えた。  おやおや、珍しい。こんな辺鄙な外れに若人さんが2人なんてねぇ。こんな外れまで、よく来たねぇ。ゆっくり、ゆっくりと選んで行っておくれ。  花を物色している間に老女の店主はそう言ってくれた。  彼女の目は歓迎するような、懐かしむような、私たちを誰かに重ねているような、そんな気がした。  店主の言葉に甘えて、私たちは長い間、そこに留まった。  何か、一輪でも手に取れば店主は親切にも花言葉を一つづつ教えてくれた。  喧騒から離れた憩いの時間。  そこだけ時間が止まったように、居心地が良かった。  ほら、この花とか綺麗だとは思わないかい? 誰の色にも染まることのない純黒。万人が美しいとは言わないけれど、それでも確実に人目を引くことが出来る。  やがて、彼が見せてきたのは黒薔薇だった。  赤や黄色ではなく、夜空よりも暗い色。      確かに女性が薔薇を好むとはいえ、黒薔薇に限っては賛否が分かれるかもしれない。  けれど、少なくともこの落ち着いた色合いは、好みだった。  おや……それにするのかい? それは少し私の口からは教えられないねぇ……  逆に店主はそれほどに好きでもないらしい。  何か、花言葉に良い意味がないのだろうか。あまり良い顔をしていない。  だとしても、私は構わなかった。  それから少しして彼の手には黒薔薇、私の手にはジャスミンの花。  この花の花言葉は「私は貴方に付いていく」。感謝の花言葉でも良かったのだが、少し陳腐な気がしたので信頼の気持ちとしてこれを選んだ。  じゃあ、はい。いつも僕の旅に付き添ってくれてありがとう。そして、これからも宜しくお願いします。  珍しく形式ばって、ぎこちない動きで黒薔薇を差し出す彼。  その花を貰ってから、私は彼の滑稽な姿に珍しく笑ってしまった。  笑い声は出ない。けれど、息は途切れ途切れで、目尻からは少しだけ涙が出た。  彼の珍しい姿を見ることの喜びもあったのかもしれない。  お腹を押さえて肩を震わせる私に釣られて彼も笑い始めた。  何でこんな形式ばってんだろう、と呆れたように言いながら。  声は出せないけれど、彼に倣って私も形式ばった身動きで花を差し出してみせると、やはり私たちは耐えきれず笑いあった。  こんなに笑ったのは何時振りだろうか。  こんなに心地良く笑えるのはこれからもあるだろうか。  そう思うほどに、この時間が愛おしかった。  互いに渡った一輪の花。  黒薔薇を手に佇む私に、彼はよく似合ってると言ってくれた。  それが何ともなしに、嬉しかった。  恐らく、次の旅の間には枯れてしまうだろう。  けれど、願わくば、出来るだけ長く花を咲かせていてほしい。  そうすれば、また、彼から言葉を貰えたかもしれない。また、似合っていると、そう言ってもらえるかもしれない。  ただ、どうして彼からそう言われたいのか、それは分からなかった。  決して可愛いからだとか、綺麗だとか、美しいとか、そうではない。外見を褒めて欲しいのではない。。けれど、分からない。  喉に蓋がしまっているかのように、表現したいことが見つからない。  だから、せめて。  この長い旅の果てまでにこの気持ちを見つけたいのだ。  チクッとした痛み。  旅の果て。それを考えた途端、胸がざわつく、苦しむ。  心地の良い痛みではない。何時もとは違う感情。  これはきっと、恐怖だ。
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