道化師と帽子

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道化師と帽子

 浮ついている空気ではない。けれど、浮ついている。  それがどうしてかと思えば、畢竟この空気が街の特徴なのだと気付いた。  祭りでもないのに華やいだ声は、異国の旅人には変わらない新鮮さを感じる。  明光色に彩られた街並みにはどこを見ても子供の姿が見える。  皆笑顔で、驚いて。一心に彼らを見詰めていた。  この街は道化師の聖地、初の道化師が生まれたと伝えられる街なんだ。全国の道化師はこの街から生まれたと言われるくらいでね、だからこそ、この街には数多くの道化師がいるんだ。ある者は憩いの場として、ある者は修行の為に、ね。  聴こえてくるのは滑稽な歌声やずれたリズム。それを扱って彼らは見事な迄に大道芸を披露してみせる。新人の起こすミスだって一緒に転べば立派な演技。それでも、街の子供は律儀にあれはミスだよ、と一言申し立てる。  この街に住んでいるからこそだろう。目の肥えた子供たちは成程、大道芸の演技の評価するのに長けている。それも、無料だ。  失敗してしまっても飴でもあげれば彼らは喜んで許してくれるだろう。  まさに理想な弟子と師匠。  どうだい、君もなにか目を引くものでもないかい? よければ何処かのお店で一休みしながら芸でも見学でもしようよ。  生憎、大道芸というものを凄いと思うことが出来ても、好き、とは言えるほどではなかった。  クルクルと滑稽さをアピールされなくても、隣には存在自体が道化師のような人がいるのだから。  向かった先の店でも道化師はいた。3人のグループで互いに回ったり踊ったりしながらお手玉を投げあっていた。  佳境を終えると響くのは喝采の拍手。  私は小さなものだったが、その分彼が大きく拍手してくれた。  それからも代わる代わる様々な道化師が現れては大道芸を披露していった。  ある者は松明の火を吹いて、ある者は一輪車を積み上げていってその上に乗ったり。  紅茶一杯を飲む間に五つの道化師の組が現れた。  そんなだからか、大道芸に気を取られていたからか、気付けば彼の姿がなくなっていた。  何処へ? 彼は、何処に?  彼の姿が見えなくなった途端、私は棄てられた猫のように忙しなく辺りを見渡した。  祭囃子の空気が遠いものになって、心細さで震えそうになる。  けれど、それもすぐに終わる。  さぁさぁ見てらっしゃい、なんて典型文をを並べながら道化師として現れたのは彼だった。  手には鍔の広い帽子。何処で買ったのか、貰ったのか。白色に青いリボンが巻かれた清楚な帽子だった。  彼は突然帽子を逆さにすると、中に手を入れた。そしてさも当然のように長い棒を1本、取り出す。  これはただの演出なのだろう、彼に達成感はなかったし、客にも驚きこそあれ、拍手は贈らなかった。  手品は手品なのだろう。  続いて彼はその棒を立てると、軽やかに飛び上がり、棒の上に片手で逆立ちした。そして、手にした帽子を明後日の方向に投げた。  しかし、投げ出された帽子は弧を描くようにして彼の元に帰ってくる。そしてそれをまた別の方向へと飛ばす。それもまた戻ってくる。  軌道が風で少しズレれば彼は棒を掴む手の長さを調節しながら帽子を掴んでいく。  そして少ししてから、彼は更に帽子から新しい棒を取り出すと二つの棒を繋げて立てた。その上に彼は飛び上がる。  より不安定になる土台。  テーブルに立てられた傘と同じくらいの高さに至った彼はそんな不安定な立場をものともせずに帽子を投げる。  時には2本の棒を器用に操り、動いたり、長さを変えたりしながら帽子を投げては掴むという作業を繰り返した。  つまらない? まさか。  彼が見せるのは大道芸の道に手練た者の威風。  失敗することを想定しない。そんな自信。  だからこそ、皆が魅入ったのだ。  やがて終わった彼の独壇場ははち切れんばかりの拍手で幕を閉じた。  棒を帽子の中に戻した彼はテーブルに戻ると明るい笑顔で汗を拭う。  いやぁ、久しぶりにやったけど、成功して良かったよ。あれは村にいた頃に練習していたものだったんだ。  それは彼が家にあまりいようとしなかったからだろう。  きっと森の中にでもいて練習していたのだろう。  それは納得できたし、彼がどうしてあのような大道芸を出来たのかも分かった。それが素晴らしいことも。  けれど。  いった!? ちょ、ちょっと待って、何で蹴るんだい!? え、一言くらい断りを入れてくれって? いや、言ったーー痛っ!?  それでも。私がたまたま大道芸に目がいっていたからって私の反応を待たずに消えるのはずるい。  もし、ちゃんと教えてくれれば、私だってあんな思いはせずに済んだのに。  けれど、これもただの八つ当たりなのだ。我儘なお願いだ。  私が悪いなんて分かっているのに彼のせいにしてしまう、天邪鬼な思考。  だと言うのに彼は律儀にも謝ってくれる。  ごめん、ごめんって! ほ、ほら、君のために帽子を買ってきてあげたから、ね?  それは先ほどの帽子だった。何度も投げられ、律儀にも戻ってきた白い帽子。  彼の汗が染み込んでいるからか、新品だったはずなのに、帽子は少しよれよれになっていた。  けれど……嬉しかった。  彼からのプレゼントが。  彼の汗が染みていることが。  私の為に買ってきてくれたことが。  何より。  うん、ばっちりだ。似合ってるよ!  彼から似合っていると言われたことが。          
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