乗合馬車

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乗合馬車

 ガタガタと揺れる音がする。  人々の談笑に耽る声が聞こえる。  右頬には温かい違和感が付いていた。  それが気になって目を開けば、私は彼の肩に身を預けていることに気づく。  私が目を覚ましたことに気付いていないのか、彼は誰かと話しているようだった。  そうなんですか。それでは、そんな遠くからご夫婦で旅を?  ええ、まぁね。君たちこそ、恋人同士で長旅かい?  いやぁ、恋人ではないですよ。ただの連れです。そんなこと、彼女が起きていたら脛を蹴られてますって。  ふむぅ、しかしその彼女さんは丁度起きているらしいが。  そう言われて彼は気付いたらしく、びくり、と肩を震わせた。  その時に頬に肩がぶつかったのが痛い。痛いから彼の手の甲を引っ張って訴えた。  はっはっは、仲が良いようで宜しい。どうかね、彼の肩の心地は。  彼と話をしていた男性のからかい半分の質問にはなんと答えていいか分からず、私は再度目を閉じた。  おや、良かったね。居心地は最高だそうだ。  いえいえ、ただ単に答えるのが面倒なだけですよ。  彼の言うことは確かなのだが、それでは私が出来の悪い娘のようではないか。  だから、異議を申し出て、また手の甲を抓った。  痛い痛いと訴え続ける彼を余所にその男性は話を続ける。  いいことじゃないか。いいかい? 男は女に尻を敷かれるくらいが丁度良い。男なんて突発的な生き物で、ああと決めたら中々こうとは言わない。だからこそお嬢さん、しっかりと彼の手綱を握っておくんだよ?  どうやら私に対して話していたらしい。  流石に目を閉じたままであるのは失礼だからと私はゆっくりと目を開ける。そして、頷く。その通りだ、と。  そう、男性の言う通りだ。私は彼の手綱を握り続けなければならない。  確信があった。  きっと、私が彼から目を逸らしてしまえば彼は瞬く間に消えてしまう。言い訳を言ったところできっと彼は戻ってこない。物を受け取る対価のように、私は彼の許に居続けなければならない。  だから、私が。  …………。  けれど。  けれど、何故、そう思ったのだろうか。何故、そう確信できたのだろうか。  うん? どうかしたかい?  遠くへ行きそうになる思考を彼が引き止める。  彼の顔には不思議そうな面持ちで笑みを浮かべていた。  貼り付いた笑みはまた剥がれていない。  なんでもないと言うように首を振ると私はまた目を閉じた。  ただの杞憂だろう。  長旅で少し疲れただけ。そう言い訳して彼の肩に頭を乗せ続ける。重いだとか、窮屈だとか、何も言われないことが何ともなしに嬉しかった。けれど、この感情の名前をまだ私は知らない。  まぁ、だからと言って尻に敷かれたまんまというのも納得いかない時もあるけどなぁ……ああ、いや、違う。別にお前といることに不満があることではなくてだな……  男性はしっかりと尻に敷かれているらしい。声を聴くだけでも分かる。奥さんにうだつが上がらないのだろうと。  彼らは理想の夫婦なのだろう。こんな世の中、発達しきれていない文明で娯楽も乏しいのに、あんなに幸せそうに。  この人達が不幸になる運命を私は想像出来なかった。  羨ましい夫婦関係ですよ、お二人は。僕達も、お二人のように仲良くしていきたいもので……いたっ!? と、突然どうしたんだい!?  突然彼を叩いてしまったのは悪い癖だ。ある種、彼への信頼とも言えるかもしれない。  ただ、変な風に先読みしてしまっただけだ。「お二人のような関係になりたいものです」なんて、見当違いの言葉を考えてしまっただけだ。  だから、これは私の所為。  けれど、謝る気にはなれなかった。  だって、それでは私がこんな言葉を期待していたと公言するようなものだ。  とても、とても恥ずかしい。その癖、その事を伝えたらなんと言われるかと、期待する自分がいる。  それは、一体どうして。  分からない感情を胸に秘めたまま、ぐるぐると回る思考で眠りにつく。  ほんのりと顔が赤くなっていたのかもしれない。  私の耳朶は、オロオロとする彼の声と、まるで察しているかのような男性の朗らかな笑い声のみがよく響いた。
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